競走中の事故が原因で予後不良となった競走馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:27 UTC 版)
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「Category:現役中に死亡した競走馬」も参照 日本 ここでは日本のGI(級)競走優勝馬について述べる。 馬名主な勝鞍故障レース故障内容・経過ナスノコトブキ 1966年菊花賞 1967年天皇賞(春) 左第三中足骨骨折等 キーストン 1965年東京優駿 1967年阪神大賞典 左第一指関節完全脱臼 ハマノパレード 1973年宝塚記念 1973年高松宮杯 左前種子骨粉砕骨折等 キシュウローレル 1972年阪神3歳ステークス 1974年京都牝馬特別 左第一指関節開放脱臼 テンポイント 1975年阪神3歳ステークス、1977年天皇賞(春)、有馬記念 1978年日経新春杯 左後第三中足骨開放骨折、第一趾骨複骨折 キングスポイント 1982年中山大障害(春)、中山大障害(秋) 1984年中山大障害(春) 右足根骨粉砕骨折 シャダイソフィア 1983年桜花賞 1985年スワンステークス 左第一指関節開放脱臼 ノアノハコブネ 1985年優駿牝馬 1985年阪神大賞典 寛骨骨折 サクラスターオー 1987年皐月賞、菊花賞 1987年有馬記念 左前脚繋靱帯断裂、第一指関節脱臼等 ライスシャワー 1992年菊花賞、1993年、1995年天皇賞(春) 1995年宝塚記念 左第一指関節開放脱臼 ワンダーパヒューム 1995年桜花賞 1996年京都牝馬特別 左第一指関節脱臼等 ホクトベガ 1993年エリザベス女王杯ほか 1997年ドバイワールドカップ 左前腕節部複雑骨折 サイレンススズカ 1998年宝塚記念 1998年天皇賞(秋) 左手根骨粉砕骨折 シンボリインディ 1999年NHKマイルカップ 2001年ダービー卿チャレンジトロフィー発走前 右下腿骨開放骨折 ビッグウルフ 2003年ジャパンダートダービー 2005年園田金盃 左前脚開放骨折 コスモサンビーム 2003年朝日杯フューチュリティステークス 2006年阪急杯 急性心不全 マジェスティバイオ 2011年中山大障害、2012年中山グランドジャンプ 2013年イルミネーションジャンプステークス 右前浅屈腱断裂 アポロマーベリック 2013年中山大障害、2014年中山グランドジャンプ 2015年中山大障害 左第三中手骨開放骨折 シングンマイケル 2019年中山大障害 2020年中山グランドジャンプ 頸椎関節脱臼 ハマノパレードはその末路が大問題になり、その一件以降、GI(級)馬のレース中での予後不良は、原則としてその場で安楽死させる措置が行われるようになった。 詳細は「ハマノパレード#屠殺 - 死後の影響」および「馬肉#食のタブー・批判」を参照 シンボリインディはゲート入り後にゲートの下を潜り抜けてしまって故障を発生したという稀なケースである。 ナスノコトブキ、テンポイント、サクラスターオーの3頭は予後不良の診断が下ったが、馬主サイドの意向により治療が行われた。しかし、ナスノコトブキとテンポイントは療養中に衰弱死、サクラスターオーは約5ヶ月の闘病の末に別の箇所を骨折し、安楽死の措置が執られている。 なおレース中の事故の他、調教中や放牧中の事故で予後不良になったケースが存在する(例:ジョワドヴィーヴル、アウォーディー、シャケトラ)。 日本調教馬以外で有名な例 ラフィアン(1972年ニューヨーク牝馬三冠ほか)1972年にフーリッシュプレジャーとのマッチレース途中で故障(左前種子骨粉砕骨折)。本馬の一件以降、アメリカでは公式のマッチレースは開催されていない(非公式マッチレースは1試合のみ)。 バーバロ(2006年ケンタッキーダービー、フロリダダービー) - 2006年プリークネスステークスで故障(右後第一趾骨粉砕骨折等)。治療が行われたものの、約8ヶ月の闘病の末、左後肢の蹄葉炎により安楽死。 ジョージワシントン(2006年キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスほか) - 2007年ブリーダーズカップ・クラシックで故障(右前管骨開放骨折等)。 リワイルディング(2011年ドバイシーマクラシック、プリンスオブウェールズステークス)- 2011年キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで故障。
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