大柳英雄とは? わかりやすく解説

大柳英雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 18:06 UTC 版)

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大柳 英雄
基本情報
国籍 日本
出身地 北海道苫前郡羽幌町
生年月日 (1934-01-15) 1934年1月15日
死没 (1955-12-24) 1955年12月24日(21歳没)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 清水茂次
初免許年 1954年
免許区分 平地障害
騎手引退日 1955年
重賞勝利 1
通算勝利 333戦64勝
(平地48勝、障害16勝)
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大柳 英雄(おおやなぎ ひでお、1934年1月15日 - 1955年12月24日)は、日本の元騎手

略歴

北海道苫前郡羽幌町出身。上村大治郎厩舎に見習騎手として入り、短期騎手講習を3回受講し[1]、後に清水茂次厩舎に移って1954年に騎手免許を取得した。

騎手デビュー戦は昭和29年第2回京都競馬2日目(1954年3月21日)の第7競走にてツルマツに騎乗し、7着であった[1]。初年度は64戦7勝に終わったが、デビュー2年目の1955年に頭角を現し、トサモアーでの阪神3歳ステークス勝利を含む、平地42勝、障害15勝の合計57勝を挙げ、若手の成長株となった。

しかし、12月24日阪神競馬場(第4回阪神競馬第7日第6競走)でのアラブ障碍特別(2,600m、ハンデキャップ戦)でフライヤー(初勝利を挙げた馬でもあった)に騎乗してのレース中、襷コースに入って最初の障害(生籬障害)を飛越の際、着地時に蹉跌転倒して落馬、直ちに救護室に運ばれたが、頭蓋骨骨折による脳内出血により、まもなく息を引き取った[2]

大柳の葬儀は、日本中央競馬会葬として、1955年12月27日に阪神競馬場で執り行われた[1]

この年の最終的なリーディング順位は全国7位、連対率は0.374に達していた。

戦績

  • 通算333戦64勝利
    • 平地:48勝
    • 障害:16勝

主な騎乗馬

脚注

  1. ^ a b c 競馬共助会刊『優駿』1956年2月号 23頁「大柳騎手の殉職を悼む」参照
  2. ^ 『昭和30年度競馬成績公報』(日本中央競馬会) 1580頁参照




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