福島第一原発事故以降
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2011年3月11日の東日本大震災に誘発されて発生した福島第一原子力発電所事故は大きな衝撃を与え、日本では千人から万人単位規模の集会やデモ行進が、東京を中心に各地で実施された。ルポライターの鎌田慧やYMOの坂本龍一らは脱原発を求め1千万人の署名運動 を呼びかけた。 スタジオジブリ発行の小冊子『熱風』2011年8月号の特集「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」では、宮崎駿、鈴木敏夫、河野太郎、大西健丞、川上量生による特別座談会が掲載されており、宮崎駿は原発をなくすことに賛成と語っている。座談会では他に、2010年夏に福島の原発施設内(福島第二原子力発電所エネルギー館)に知らないうちにトトロの店が置かれていたことが発覚し撤去させたことや、ジブリとしては原発に反対であることなども語られている。また2011年6月から、東京都小金井市のスタジオジブリの屋上に、「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」と書かれた横断幕が掲げられている。 当時の民主党政権は、事故当時の首相菅直人が浜岡原子力発電所を停止させ、後には脱原発を訴え続けているほか、鳩山由紀夫(鳩山友紀夫)元首相も野田佳彦首相(当時)の大飯原子力発電所再稼働決定について、市民による首相官邸前脱原発運動に突如現われ、反対の意向を述べている。この頃には民主党から離脱した小沢一郎グループが国民の生活が第一(現自由党)を立党、政策に脱原発を盛り込むなど、党内からは続々と反対派が現われた[要出典]。 一方、民主党の支持母体の一つである全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)は、「原子力発電は、議会制民主主義において国会で決めた国民の選択。もしも国民が脱原発を望んでいるなら、社民党や共産党が伸びるはず」として脱原発に反論した。 2011年10月、全国原子力発電所所在市町村協議会副会長も務めた村上達也・東海村村長が、「人に冷たく、かつ無能な国では原発を持つべきでない。」と述べ、細野豪志原発担当大臣に東海第二発電所の廃炉を提案した。同年11月30日、佐藤雄平福島県知事は、現在策定作業を進めている県復興計画案に関わって「県内の原発全10基の廃炉を要求する」考えを表明した。同県内には東京電力福島原発に6基、第2原発に4基ある。同復興案は12月9日開会の県議会に提出された。 2012年12月9日に日経リサーチが東京都の有権者に対して行った調査では、原子力発電のあり方についての質問に、13%が「電力供給のために今後も必要」、61%が「脱原発を目指すべきだが、当面は必要」と回答している。他方、2012年12月1日から2日にかけて朝日新聞が行った世論調査では、「原子力発電は今後どうしたらよいか」を3択で尋ねると、「早くやめる」が18%、「徐々に減らしてやめる」が最多の66%で、「使い続ける」は11%であった。2013年1月に読売新聞が、全国の原発事故対策の重点地域に含まれる135市町村の首長に対して行ったアンケート調査では、原子力規制委員会が安全と判断した場合、原発の再稼働を「認める」「条件付きで認める」との回答は54%(72人)で過半数を上回る結果となった。 茨城県の東海第二原発の再稼働に対して県内の有権者に対して行った世論調査では、半数を超えるの有権者が再稼働に反対の意見を表明したが、職業別では学生においては賛成と反対がほぼ拮抗し、年齢層の違いによって意見の相違が存在する事実が明らかになった。 その後、2012年12月16日に投票が行われた第46回衆議院議員総選挙では、脱原発ではなく当面の原発維持を主張する自由民主党が大勝し、以降運動も減速する。 2017年10月に行われた第48回衆議院議員総選挙に於いて「原発ゼロ基本法の策定」を選挙公約に掲げた立憲民主党は選挙後、日本各地でタウンミーティングを開催し原発ゼロ法案に対する有権者からの意見 も踏まえて、2018年2月22日の党政調審議会で原発ゼロ基本法案を了承。3月9日に共産党や社民党、自由党と共に国会へ共同提出した。なお共同提出に際し、希望の党や民進党にも呼びかけを行ったが、2党は共同提出には同調しなかった。法案では、民進党時代における「2030年代原発ゼロ」という具体的な年限は設けず、「法施行後5年以内」に全原発を廃炉とする目標を掲げ、原発の再稼働と新規増設の禁止も盛り込まれた。 2021年3月6日、共同通信がアンケート結果を公表。東日本大震災・福島第一原子力発電所事故被災者300人のうち国内の原発について「将来的な廃止も含めてなくすべきだ」と答えた人が82%に上ったことが分かった。
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