生い立ち - 騎手時代
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北海道岩内郡小沢村(共和町)に鉄道員の三男として生まれ、小学生の頃から近隣の牧場で牛追いを手伝い、隣町の倶知安競馬場で見た競走馬の姿にも魅せられ騎手を志した。1935年に札幌競馬倶楽部・清水茂次厩舎に入門し、全国の競馬倶楽部が統一されて日本競馬会が発足した1936年に騎手免許を取得し、同年7月7日に札幌で初騎乗、1937年4月の小倉・ホンラクで初勝利を挙げた。清水は弟子に積極的に機会を与える調教師であり、境も当時の新人騎手としては騎乗馬に恵まれながら過ごした。一方で騎乗内容には非常に厳しい面もあり、勝ったにも関わらず殴られることがあったという。1940年には牝馬のニパトアで特殊競走の札幌農林省賞典四歳呼馬に勝利するが、ニパトアは1942年秋に帝室御賞典を制すも、このとき清水が間違えて弟弟子の新屋幸吉を騎乗させ、非常な不満を抱いた境は、酒に酔った勢いで包丁を手に清水の自宅に押しかけようとしたという。1944年にはクリヤマトで農商務省賞典を制し、クラシック競走初制覇を果たした。同年結婚したが、太平洋戦争の最中であり、直後に徴兵を受ける。激戦地であるガダルカナル島への要員であったが、入隊前日に同島の日本軍が壊滅し(ガダルカナル島の戦い)、戦地行きを免れる。3カ月後に改めて旭川連隊区に配属され無線係を務めたが、その4ヶ月後に終戦を迎えた。なお、山口進著『名馬名騎手名勝負』では、徴兵歴について1943年に応召のあといったん帰還し、1944年9月より再応召とされている。 戦後は騎手として復帰し、条件のいい厩舎を転々としながら騎手生活を続けた。1950年にはトサミツルで桜花賞を制してクラシック2勝目を挙げるが、同馬は当時所属していた星川泉士厩舎で境が厩務員も兼ねた「持ち乗り」であった。同馬は桜花賞を前に強い調教をかけられて飼料を食べなくなってしまったが、境の手からは僅かずつ食べることを見て取り、夜通し食べさせ続けたといい、騎手時代の一番の思い出としてこの桜花賞を挙げている。また、1953年にはクインナルビーで牝馬として史上4頭目の天皇賞(秋)制覇を果たした。走破タイム3分23秒0は当時のレコードタイムであり、境は同馬について「体のやわらかさが非凡で、終いの非常に切れる馬だった。よく乗り役が、『ベンツとトラックの違い』というのだが、体がやわらかく、乗り味のいい馬は大変走るものだ。クインナルビーはまさにベンツの乗り味だった。先行タイプの騎手だった僕も、この馬に乗るときだけは後方待機の直線強襲と決めていた」述懐している。1957年には腎臓を患い1年の入院を経験し、復帰した1958年に中山・久保田金造厩舎からダービー馬のダイゴホマレの騎乗を頼まれ、以後拠点を関東に移す。1964年7月25日の函館第5競走4歳以上40万下・クインフオーラで史上13人目の通算500勝を達成し、11月8日には第5回アジア競馬会議マニラ大会の一環で当地に遠征し、国際騎手招待競走で優勝。レースが行われたサンタ・アナ・パーク競馬場は一日の競走数は14競走と多く、午前9時頃から午後4時頃まで行なわれていた。コースは左回りのダートコースであったが、ホームストレッチ以外は、内ラチに近い所に蹄跡で凹んだ道が出来ていて、そこに水が溜まっているという酷いコースであった。レースはほとんどが短距離戦で、逃げ馬か、先行馬がほとんど勝っていた。境は代表団の北原義孝に「レースが逃げ馬ばかりが勝って面白くないね!北原さん、俺は追い込んで勝つから、見ていてくださいよ!」と言い、北原が「それなら格好いいけど、大丈夫かな?」と返すと、境からは「大丈夫よ!まー見ていてよ!」と返ってきた。現地騎手の鐙は長めで、騎乗姿勢も高く、いわゆるモンキースタイルではなかった。騎手の検量は天秤式で、分銅の反対側には騎手の座る椅子があり、騎手が椅子に座って足を地面から離し、分銅と水平の状態になると、検量委員が、OKと叫んで終了するというものであった。国際騎手招待競走のスタート地点は、ホームストレッチの4コーナー寄りで他のレースよりは2ハロンくらい距離が長かった。境は中団よりやや後ろから少しづつ前に行き、ホームストレッチではインを突き、逃げる馬に迫って行った。スタンドは歓声と悲鳴に包まれ、境の乗った馬はゴールの10mくらいの所で前の馬を捉え、1馬身差くらいでゴールに跳び込む。後検量を終えて泥だらけの境を調教師が抱きかかえてなかなか離さず、馬に乗る前に境が北原に囁いたように、鐙の穴をひとつだけ上げて短くし、馬を追う姿勢を低くして誰よりも格好良く、逃げ馬をきっちりとゴール前で交わして勝った。スタンドは興奮のるつぼと化し、現地の観客が「ブラボー、サカイ!ジャパン、ジャパン」と拳を振り上げて叫ぶと、それに応えて境は手を振りながら、「サンキュー、サンキュー」とスタンドの前を歩き続けた。フィリピンの競馬ファンが大声で、また「サカイ、サカイ」と叫んで応えた。1965年引退。騎手通算成績は3070戦540勝。うち八大競走3勝を含む重賞8勝。
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