生い立ち - 騎手時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 生い立ち - 騎手時代の意味・解説 

生い立ち - 騎手時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 07:02 UTC 版)

境勝太郎」の記事における「生い立ち - 騎手時代」の解説

北海道岩内郡小沢村共和町)に鉄道員三男として生まれ小学生の頃から近隣牧場牛追い手伝い隣町倶知安競馬場見た競走馬の姿にも魅せられ騎手志した1935年札幌競馬倶楽部清水茂厩舎入門し全国競馬倶楽部統一され日本競馬会発足した1936年騎手免許取得し同年7月7日札幌初騎乗、1937年4月小倉・ホンラクで初勝利を挙げた清水弟子積極的に機会与え調教師であり、境も当時新人騎手として騎乗馬恵まれながら過ごした一方で騎乗内容には非常に厳しい面もあり、勝ったにも関わらず殴られることがあったという。1940年には牝馬のニパトアで特殊競走札幌農林省賞典四歳呼馬勝利するが、ニパトアは1942年秋に帝室御賞典制すも、このとき清水間違えて弟弟子新屋幸吉騎乗させ、非常な不満を抱いた境は、酒に酔った勢いで包丁を手に清水自宅押しかけようとしたという。1944年にはクリヤマトで農商務省賞典制し、クラシック競走制覇果たした同年結婚したが、太平洋戦争最中であり、直後徴兵を受ける。激戦地であるガダルカナル島への要員であったが、入隊前日に同島の日本軍壊滅しガダルカナル島の戦い)、戦地行き免れる。3カ月後に改め旭川連隊区配属され無線係を務めたが、その4ヶ月後に終戦迎えた。なお、山口進著『名馬騎手名勝負』では、徴兵歴について1943年応召のあといったん帰還し1944年9月より再応召とされている。 戦後騎手として復帰し条件のいい厩舎転々としながら騎手生活を続けた1950年にはトサミツルで桜花賞制してクラシック2勝目挙げるが、同馬は当時所属していた星川泉士厩舎で境が厩務員兼ねた持ち乗りであった。同馬は桜花賞前に強い調教かけられ飼料食べなくなってしまったが、境の手からは僅かずつ食べることを見て取り夜通し食べさせ続けたといい、騎手時代の一番の思い出としてこの桜花賞挙げている。また、1953年にはクインナルビー牝馬として史上4頭目天皇賞(秋)制覇果たした走破タイム323秒0は当時のレコードタイムであり、境は同馬について「体のやわらかさ非凡で、終いの非常に切れる馬だった。よく乗り役が、『ベンツトラック違い』というのだが、体がやわらかく乗り味のいい馬は大変走るものだ。クインナルビーはまさにベンツ乗り味だった。先行タイプ騎手だった僕も、この馬に乗るときだけは後方待機直線強襲決めていた」述懐している。1957年には腎臓患い1年入院経験し復帰した1958年中山久保田金造厩舎からダービー馬のダイゴホマレ騎乗頼まれ以後拠点関東に移す。1964年7月25日函館第5競走4歳以上40下・クインフオーラで史上13人目通算500勝を達成し11月8日には第5回アジア競馬会議マニラ大会一環当地遠征し国際騎手招待競走優勝レースが行われたサンタ・アナ・パーク競馬場一日競走数は14競走多く午前9時頃から午後4時頃まで行なわれていた。コース左回りダートコースであったが、ホームストレッチ以外は、内ラチに近い所に蹄跡凹んだ道が出来ていて、そこに溜まっているという酷いコースであったレースはほとんどが短距離戦で、逃げ馬か、先行馬がほとんど勝っていた。境は代表団北原義孝に「レース逃げ馬ばかりが勝って面白くないね!北原さん、俺は追い込んで勝つから、見ていてくださいよ!」と言い北原が「それなら格好いいけど、大丈夫かな?」と返すと、境からは「大丈夫よ!まー見ていてよ!」と返ってきた。現地騎手の鐙は長めで、騎乗姿勢高くいわゆるモンキースタイルではなかった。騎手検量天秤式で、分銅反対側には騎手の座る椅子があり、騎手椅子座って足を地面から離し分銅平の状態になると、検量委員が、OK叫んで終了するというものであった国際騎手招待競走スタート地点は、ホームストレッチの4コーナー寄りで他のレースよりは2ハロンくらい距離が長かった。境は中団よりやや後ろから少しづつ前に行きホームストレッチではイン突き逃げる馬に迫って行ったスタンド歓声悲鳴包まれ、境の乗った馬はゴールの10mくらいの所で前の馬を捉え1馬身差くらいでゴール跳び込む。後検量終えて泥だらけの境を調教師抱きかかえてなかなか離さず、馬に乗る前に境が北原囁いたように、鐙の穴をひとつだけ上げて短くし、馬を追う姿勢低くして誰よりも格好良く逃げ馬きっちりゴール前で交わして勝ったスタンド興奮のるつぼと化し現地観客が「ブラボーサカイ!ジャパンジャパン」と拳を振り上げて叫ぶと、それに応えて境は手を振りながら、「サンキューサンキュー」とスタンドの前を歩き続けたフィリピン競馬ファン大声で、また「サカイサカイ」と叫んで応えた1965年引退騎手通算成績は3070戦540勝。うち八大競走3勝を含む重賞8勝。

※この「生い立ち - 騎手時代」の解説は、「境勝太郎」の解説の一部です。
「生い立ち - 騎手時代」を含む「境勝太郎」の記事については、「境勝太郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「生い立ち - 騎手時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「生い立ち - 騎手時代」の関連用語

生い立ち - 騎手時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



生い立ち - 騎手時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの境勝太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS