生い立ち、選手として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/22 19:45 UTC 版)
長野県長野市出身。小学校高学年の時、ジャッキー・チェンのファンになる。本人曰く、最初の格闘技は自己流の形意拳だという。その後、少林寺拳法を始める。 高校進学後、宮越ジムに入門。高校は出席日数が足りず、1年で退学になる。1988年2月に、まだ16歳だったが、17歳と偽って日本キックボクシング連盟でプロデビュー。デビュー戦をKO勝ちで飾る。その後上京し、宮越ジム所属渡辺ジム預かりとなった。バンタム級の選手として活動するが、デビュー戦後は3連敗する。これを機に長野県に戻り、アマチュア団体(同好会)長野県ムエタイ連盟を設立。キックボクシングだけでなく有刺鉄線マッチなどプロレスの試合も行った。 長野県に戻って2年後、格闘技雑誌で、東京北星ジムがディスコでムエタイのショーを行うことを知り、計5~6回参加。試合後はファイトマネー5000円とチップ数万円を受け取っていた。18歳の終わり頃に、家族に何も言わずに再度上京。東京北星ジムに正式に所属する。 1991年10月26日に、全日本キックボクシング連盟でフェザー級のキックボクサーとして再度プロデビューを果たした。そののち、4度オランダにわたり、その都度所属団体も変わった。単に国内のジムや所属団体を転々とするだけでなく、「国・大陸をも渡り歩く奔放さによって」、いつしか「野良犬」とあだ名されるようになった。最後は藤原敏男が会長を務める藤原ジムに落ち着いた。現役時代はWKA世界ライト級王者(2000年 - 2007年)などの複数のタイトル(後述)を獲得した。 2006年11月12日、ムエタイ現役4冠王者ジャルンチャイ・ケーサージムに5ラウンド判定0-3(48-50、48-50、49-50)で敗戦後、突然の引退宣言を行った。2007年3月9日、全日本キック「Departure 〜野良犬FINAL〜」で「野良犬ファイナルマッチ」としてジムの後輩前田尚紀と3分1Rのエキシビション試合を行ったあと、引退セレモニーが行われ、10カウントゴングでリングを後にした。通算成績は69戦46勝(34KO)21敗2分。
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