生い立ち・芸歴とは? わかりやすく解説

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生い立ち・芸歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 01:37 UTC 版)

清元志寿太夫」の記事における「生い立ち・芸歴」の解説

1898年 - 神奈川県横浜市山下町生まれ1913年 - 清元小家壽(のぶこやす)に師事1921年 - 家元・五世清元延壽太夫三味線方の三世清元梅吉(後の清元壽兵衛)が出演料分配巡って不和となり、梅吉独立1923年 - 二世喜久太夫入門し太夫名乗り浅草観音劇場に於ける喜撰」「吉野山」で初舞台1924年 - 延壽太夫門下移って初代清元志壽太夫となった市村座筆幸』を勤めたのを皮切りに、その年の内清元延壽太夫の脇を語る。 1926年には大阪弁天座三社祭』にて初めての立語り名人として知られた師の晩年の芸をよく吸収し生れつき声量美声相俟って六代目尾上菊五郎初めとする役者に重宝され着々と実績積みかさねてゆく。 1938年に五世延壽太夫が病に倒れ、また時を同じくして六世延壽太夫相続する予定であった四世榮壽太夫早世したためその後継者として舞台社中支え戦後朋輩清元榮壽郎清元壽國太夫清元正壽郎らと協力して若年であった清元延壽太夫(五世の孫、榮壽太夫の子息)を側面から支え社中統率し清元節太夫第一人者として斯界大きな影響与えた 1980年 - 5月28日歌舞伎座で「清元生活六十年記演奏会」を開催同年三世今藤長十郎と「芸遊会」を開催三世今藤長十郎作曲、志壽太夫節付の「豊後道成寺」を披露する長唄清元第一人者競演話題呼んだ。この「豊後道成寺」を見た四代目中村雀右衛門主宰する「雀右衛門の会」での上演を申し入れ2代目藤間勘祖の振付、志壽太夫浄瑠璃上演。後に歌舞伎の本興行にも取り上げられ何度も踊っている。 1988年 - 2月27日歌舞伎座で「清元志壽太夫卆寿の会」を開催以後1991年10月の七回目まで「志壽太夫の会」を歌舞伎座開催1997年‐1月百歳」を記念して、「壽初春大歌舞伎」昼の部キリ狂言で「清元志壽太夫百寿祝して 青海波」が上演された。幹部花形総出演した。 1998年‐11月清元延壽太夫清元宗家継承十周年演奏会」が歌舞伎座行われた。この舞台出演したのが最後となった2005年 - 1月清元志壽太夫七回忌追善演奏会」が歌舞伎座開催された。 十八代目中村勘三郎が「玉兎」、七代目尾上菊五郎と、五代目尾上菊之助が「道行初音旅」(吉野山)、四代目中村雀右衛門が「雁金」を踊り清元延壽太夫 (七世)らで「隅田川」を演奏した

※この「生い立ち・芸歴」の解説は、「清元志寿太夫」の解説の一部です。
「生い立ち・芸歴」を含む「清元志寿太夫」の記事については、「清元志寿太夫」の概要を参照ください。

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