生い立ち・芸能界入り
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大阪府東大阪市出身。母親が39歳のとき、男4人兄弟の末っ子として生まれる。小さいころに両親が離婚。父親は離婚後も近所に住んでいたが、黒田いわく「付き合いは全然なかった」という。黒田の母親は一人で子供4人を育てた。一家の生活はたいへん貧しく、様々なエピソードが生まれた(後述)。 1988年(昭和63年)大阪府立布施北高等学校卒業。料理店で修業をして板前として働き始めたのち(このため料理が得意である。後述)、大阪NSC10期生となる。1991年(平成3年)、あいはら雅一とともにメッセンジャーを結成。同期にはジャリズム・電車道などがいた。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(2007年9月までは吉本興業)所属。デビューして間もないころ『たかじんnoばぁ〜』に出演し、ゲストの歌手に容赦なくツッコむ様子が司会のやしきたかじんに気に入られ、世話になる。独特のダミ声、毒のあるキャラクター、トークの面白さで主に関西のテレビ番組で人気となる。 2005年10月、日本テレビ『バリオク!』の司会を務め、初の東京レギュラー進出をする (2006年3月27日終了)。 2007年1月12日、自身が脚本・主演を務めたテレビドラマ『誰がパパやねん!』がNHKで放送された。制作費は300万円 (放送は近畿ブロックのみ)。後に舞台化された(後述)。また2008年、NSCの同期であるザ・プラン9のお~い!久馬と劇団「元祖黒久1・1・1」を旗揚げするなど、近年は俳優・脚本家として、また歌手・作詞家としての活動もおこなっている(後述)。
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