現代の家族制度
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1948年に民法が改正され、戸主権を中心とする「家」の規定が削除。婚姻と離婚の自由、財産分与の男女平等が認められ、家父長制は廃止された。しかし戸籍制度は残され、「家」意識を温存する先祖祭祀は削除されなかった。また現在もなお、婚姻年齢や再婚禁止期間、夫婦同一姓規定など、依然として性別の格差が是正されていない部分が残されている。 第二次世界大戦の影響で、未婚者や配偶者との死別者が増加し、多数の女性が独身となった。1970年の統計では未婚が44万人、配偶者と死別していた女性が160万人だった。独身女性の世帯は、独居が60%、あとの40%の同居者のうち実母が約60%近く、姉妹が約40%だった。未婚者は親族との同居が多く、死別者は独居が多くなっており、家族制度によって結婚後は家を出たという立場になっていたことが原因とされる。 母子家庭 母子保護法は終戦とともにGHQによって中止された。厚生省は母子福祉対策要綱(1949年)を発表し、6つの柱によって未亡人と戦歿者遺族の福祉が定められ、1952年に法制化された。1949年時点で約61万世帯が母子家庭で、主な原因は戦争による死別が85.1%だった。戦争未亡人は優先的な保障が行われて軍人恩給や留守家族手当などがあったが、一般の母子家庭は多くが困窮した。そのため母子家庭で生活保護を受ける割合は28.4%にのぼった。母子家庭の支援にあたっては、民生委員が大きな役割を果たした。 家族の多様化 1955年から1966年に平均世帯人数は5人から4人となった。高度成長が起きて産業構造が変化すると核家族が増える。一方で年功序列や終身雇用などの日本型経営が広がり、男性は長時間労働に従事する労働者、女性は専業主婦となって家族を守るとする性別役割分担家族が定着する。その後、石油ショックを機に日本型経営が崩壊し、男性一人の賃金では家族を支えることができず女性が労働市場に進出する。専業主婦は1975年をピークに減少し、1985年以降は家庭の外で働く女性の方が多くなった。しかし家事と育児は女性という性別分業意識は健在で、女性の労働力率は30台前半を底とするM字形曲線が定着した。さらに1980年代後半から未婚率の上昇、晩婚化、少子化が進んでおり、単身世帯やDINKSが増えている。1990年代から事実婚や夫婦別姓、同性愛者カップル、同じ価値観をもつ人で共同生活するグループリビングといった居住形態が増えてきているが、法律を含めた社会システムの整備が十分ではない。 家庭内暴力 1993年に国連では「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」を採択した。1990年代にドメスティック・バイオレンス(DV)と呼ばれる恋人や配偶者に対する暴力が問題となった。1998年に日本初の公的調査「女性と暴力」が東京都で行われると、1%の女性が、夫や恋人から立ち上がれなくほどの殴る蹴るなどの暴力を受けたと回答した。1999年の総理府の全国調査「男女間における暴力に関する調査」では、命の危険を感じるほどの暴力を何度も受けた女性が1%、1-2度受けたという女性が3.6%、医師の治療が必要な暴力を何度も受けた女性が1%、1-2度受けた女性が3%に達した。こうした調査結果をもとに、2001年には「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(DV法)が制定された。 家族法改正 夫婦別姓についての運動が起きたことがきっかけとなり、1991年から法制審議会民法部会身分法小委員会で家族法の再検討が始まった。1996年に改正案が提出され、その内容は結婚できる最低年齢の統一、再婚禁期間の短縮、選択的夫婦別姓の導入、非嫡出子に対する差別撤廃、財産分与などだった。この改正案は保守層からの反対により、国会への上程もなかった。女子差別撤廃委員会は、日本政府に対して2003年、2009年、2016年に選択式夫婦別姓の導入を求めて勧告を出している。 国際結婚・結婚移住 結婚による日本人女性の移住は、1991年以降に増加を続けている。2012年時点の在外邦人で、永住意思がある女性は約25万人で男性の約15万人を上回っている。2008年をピークに外国人女性は減少を続けており、日本人女性と外国人男性、外国人女性と日本人男性のいずれの国際結婚も減少している。政府や行政による立法や制度にも関わらず女性の国外移住は続いており、対策が十分ではない実態が明らかとなった。
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