性別分業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:46 UTC 版)
狩猟社会においては、女性は食料の貯蔵や土器生産、男性は狩猟および石器生産などの性別分業があったと考えられる。農耕社会においては水田耕作は男女共同でおこなっていたと考えられるが、土器や織物の生産は引き続き女性が担っていたと考えられる。弥生時代の絵画銅鐸では女性(△頭)と男性(〇頭)が画き分けられており、性別分業があったことが分かる。また集落が大きくなると社会的分業も発生したが、祭祀を行うのは女性(巫女)に限られ、地位も非常に高かったと考えられている。古墳の人物埴輪には女性の姿が見られ、一般に巫女と説明されることが多いが、単に食膳を奉仕する女性とする説もある。5世紀ごろの地方豪族は部民制により土器や織物、酒など貢納品を生産するようになるが、これらの生産もやはり女性の仕事であったと考えられる。
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