現代の医療・福祉
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出産 1940年代後半はベビーブームと呼ばれる時代であった。1947年に出生率が4.54となると、厚生省は人口抑制する方針に転換する。1948年公布の『優生保護法』では優生と母体保護を理由に医師が人工中絶を行うことが認められたが、審査制であった。加藤シヅエらの運動により1949年の改正では避妊の実施と普及が図られ、中絶適応に経済的理由が加わり、さらに1952年には審査制が廃止される。これらにより女性は子供の人数や出産間隔などに自分の意思を反映できるようになり、「家族計画」という言葉が普及した。日本は、国際的には最も早く公的に中絶を認めた国だが、政策としての主目的は女性の決定権の尊重ではなく、前述のように人口抑制にあった。 社会保障 戦前の政府や行政は、家族を社会保障の担い手とみなしており、戦後もその傾向が続いた。「厚生白書」(1978年)では、3世代同居を「福祉の含み資産」と表現した。自民党による「家庭基盤の充実に関する対策要項」(1980年)では、老人扶養と子供の養育は家族の責任とした。いずれも、実態として家庭での時間が多い女性に負担を求める内容となっていた。その後、社会保障や福祉政策に変化が見られ、「子育て支援のための施策の基本的方向について」(1994年)や、育児・介護休業法(1999年)などがある。しかし、いずれもジェンダー平等が主目的ではなく、少子化対策の一環として行われている。 税制・年金 戦後の税制度や年金制度は、性別分業を固定する方向に作用した。年金法改正(1985年)や、税制の配偶者特別控除(1988年)は、専業主婦やパート労働の主婦を優遇するような内容であるが、女性をアンペイド・ワークから解放するという国際的な流れには逆行した。基礎年金においては「130万円の壁」があるため、女性が労働で自立する道を狭める方向に作用した。 障害者 2006年に国連が「障害者権利条約」を採択し、障害者の社会参加と機会の平等を実現するための規則を定めた。この条約の中で、女性の障害者は、性別と障害による複合的な差別を受けていることが指摘された。日本政府は2007年に同条約に署名し、2009年に障がい者制度改革推進本部を設立した。第1回推進会議のメンバーは24名中14名が障害当事者や家族、そして半数が女性であり、ジェンダー構成を意識して進められた。 第3次男女共同参画基本計画(2010年)では「障害に加えて、女性であることで更に複合的に困難な状況に置かれている場合がある」と言及され、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(障害者差別解消法、2013年)を交付した。しかし日本の統計は、社会福祉関連の中では障害に関する統計が遅れており、性別集計があるものはさらに少なく、状況の把握を困難にしている。 新型コロナウイルス 新型コロナウイルス感染症の流行により、女性の雇用の悪化は男性を上回った。2020年4月から7ヶ月間に雇用状況が悪化した女性は男性の1.4倍、休業率の性差は2020年5月末で3倍に達した。主な原因は、(1) 飲食・宿泊などの女性雇用者の多い業種の被害が大きい点、(2) 女性の6割が非正規雇用者である点、(3) 家事や育児負担が女性に多い点にあるとされる。自殺者数も影響を受け、感染第1波(2020年2月から6月)では14%減少したが、感染第2波(2020年7月から10月)では16%増加し、女性の自殺は37%増で男性(7%増)の5倍以上となり、主婦の自殺は倍増した。家庭でのDV被害や子供の自殺も増えており、雇用の減少や一斉休校などが影響を与えた可能性がある。
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