現代の半島的性格論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 05:17 UTC 版)
黄文雄は、「韓国乳房論」という「半島的性格論」と類似した地理的決定論を主張している。黄文雄は、「中華三千年の歴史のなかで、周囲の東胡、匈奴、鮮卑、五胡、突厥、回鶻、契丹、女真、蒙古、満洲といった北方民族などは、中華世界の覇権ゲームに参戦し、一度は中華世界に脅威を与え、また民族によっては首都を占領し、あるいは全中華世界を征服さえしている。しかし同じ北方民族でも朝鮮人だけは、せいぜい貢女や宦官あるいは朝鮮人参を献上した程度で、いわば忘れられた地であった。そのため、大きな変革も戦闘もない代わりに発展もせず、東洋最後の秘境として世界史への参加が遅くなったのだ。朝鮮はチベットのような高原の内陸国家ではない。海と陸を併せ持つ交通の至便な半島でありながらも、千年属国になったがために千年鎖国の道を歩んだ」「大航海時代以前の世界史は陸の時代であり、陸を中心に世界帝国が興亡していた。ことに中華帝国は典型的な大陸国家で、半島国家の存在には関心がなかった。漢の武帝や隋・唐以外、ほとんど朝鮮討伐を行っていないのはその証拠だ。もっとも世界の半島国家のすべてが忘れられた存在だったわけではない。ローマ帝国はイタリア半島の国家であったし、イベリア半島からもスペインやポルトガルなど、大航海時代を切り開いた国家が誕生している。そのなかで朝鮮半島だけが古代から北方諸民族、列強の属国として外来諸勢力の支配下に置かれてきたのだ。それでありながら、『韓半島の地形は、大陸にぶら下がっている乳房に似ていて、日本人は韓国の乳房を吸って大きくなった』という『韓国乳房論』が韓国にはある。もちろん中国人なら、韓国人も日本人も中国の乳房を吸って大きくなったと反論するだろう。日本人にとっても朝鮮は、『乳房』どころか大陸への陸橋的な存在にすぎなかった。古代日本人の『日出づる国に対して日没する国』という二元的世界観にも、『本朝、唐土、天竺』という三元的世界観にも朝鮮半島は含まれていなかった。豊臣秀吉の朝鮮出兵の目的は、『征明』であって、朝鮮はその通り道にすぎなかった」「自ら小中華として大中華を事大していた。朝鮮人にとって、事大は有史以来の民族共存の知恵である。地政学的に言えば、中華の京師に直進する至近距離でありながら、千年属国に甘んじていたということだろう」と述べている。
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