独立と現代チュニジアとは? わかりやすく解説

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独立と現代チュニジア(1956年-)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 22:24 UTC 版)

チュニジアの歴史」の記事における「独立と現代チュニジア(1956年-)」の解説

独立後、王国初代首相にはブルギーバ選ばれた。翌1957年ブルギーバベイ否定して共和制宣言行い大統領制採用されチュニジア共和国成立した。こうして首相から横滑り大統領となったブルギーバは、1958年の新ドゥストゥール党大会で党と政府を完全に掌握し同年ヨーロッパ人所有地の国化政策が発表された。1959年には憲法制定し社会主義政策採用したチュニジアは独自のドゥストール社会主義採用したものの、ブルギーバ現実的な政策から対外政策穏健なものになった独立当初フランスとの関係例外的に悪化しアルジェリア戦争中の1961年フランス軍チュニジア軍衝突したが、1963年9月チュニジアビゼルト基地からフランス軍撤退すると、以降ブルギーバは親欧米政策徹した第三世界諸国との関係では、アラブ世界との関係においては1958年アラブ連盟加盟したチュニジアエジプトナセル主導汎アラブ主義には反発しつつも1967年第三次中東戦争1973年第四次中東戦争ではアラブ側派兵した1982年レバノン内戦により、パレスチナ解放機構PLO)がレバノン追われると、PLO本部チュニス移動したアフリカ世界との関係においては1963年アフリカ統一機構OAU)の原加盟国一国となった内政面では社会主義思想ブルギーバによる社会主義影響受けたイスラーム教義の独自解釈によって、重婚禁止離婚法制定ラマダーン断食)の最中労働合法化など世俗的な改革進められた。1962年から三カ年計画実施されフランスとの激しい対立政策により、フランスからの援助得られなくなったためにアメリカ合衆国東ヨーロッパ諸国などの援助により、インフラストラクチュア教育拡充進められた。経済面では1964年南部油田発見されチュニジア産油国一員となった。アフマド・ベンサラー経済相による農業集団化が進められたが、累積債務増加など経済政策失敗明らかになる1969年にベンサラーが解任され社会主義経済政策終焉した。 1969年ブルギーバ体力衰えから首相職設置した1970年自由主義者のヘディ・ヌイラが首相に就任すると、チュニジア経済政策自由主義路線変更した。1974年1月にはリビアカダフィ政権相互にチュニジア・リビア両国合邦宣言しアラブ・イスラム共和国(チュニジア・リビア連合)の成立宣言されたが、同年中に崩壊した。この措置にはマスムーディ外相はじめとするマシュリク東方アラブ諸国との友好求め勢力意向があった。 ヌイラの政策当初石油輸出観光業の振興によって経済安定したが、1978年の「暗い木曜日事件」と、1980年リビア訓練されチュニジア人武装組織ガフサ襲撃したガフサ事件によってヌイラは失脚し、後を継いだムザーリー首相事実上一党制から複数政党制への移行約束した。しかし、複数政党制への移行実現せず1983年にはチュニス食糧暴動発生するなど社会不安高まり、この事件による経済低迷により、ムザーリーはブルギーバ解任された。 後任のスファル首相1987年解任された後、同年10月ブルギーバベン・アリー首相に任命したが、高まる政治不安への国民の不満を背景行われた同年11月無血クーデターによってブルギーバベン・アリー解任された。当時84歳だったブルギーバ終身大統領辞しベン・アリー大統領就任したベン・アリー1988年憲法改正し複数政党制認め経済面でも世界銀行構造調整計画受け入れて経済再建行い1970年代半ばから続いていた政治的危機克服したこのような功績によりベン・アリー1989年選挙再選された。しかし、同時にあった議会選挙では国会与党が全議席独占し事実上一党制継続確認された。 1991年湾岸戦争ではイラクサッダーム・フセイン政権支持しアラブ人連帯唱えた1993年にははじめて野党出馬許され選挙実施された。1990年代には隣国アルジェリアイスラム原理主義組織によるテロ繰り広げられ内戦発展したため(アルジェリア内戦)、原理主義組織厳しく弾圧された。 2002年にはアフリカ連合AU)の原加盟国となった

※この「独立と現代チュニジア(1956年-)」の解説は、「チュニジアの歴史」の解説の一部です。
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