独立と繁栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 15:12 UTC 版)
初め、ディオドトスはセレウコス朝のアンティオコス2世(在位:紀元前261年 - 紀元前246年)のもと、バクトリア・ソグディアナのサトラップ(総督)を任されていた。しかしアンティオコス2世が死去すると、その2人の息子の間で王位継承争いが起き、各地でセレウコス朝からの離反が始まった。 「 セレウコスとアンティオコスの兄弟が王権を奪い合って離反者を放っておいたため、「千の都市」(バクトリア)の総督であったテオドトスもこれに乗じて離反し、領民に対して自分を王と呼ぶように命じた。これによって全オリエントの諸民族がマケドニアから離反することとなった。<ポンペイウス・トログス『ピリッポス史』> 」 また、古代ローマのストラボンはディオドトスの独立後とその後の繁栄の様子を次のように記している。 「 バクトリアを離反させたギリシャ人はその肥沃な国土をもって大いに勢力を伸ばし、アリアネ地方とインド族を支配するまでとなった、ということはアルテミタのアポロドロス (Apollodorus of Artemita)が述べているところで、征服した部族の数はアレクサンドロスの時を越えた。<ストラボン『地理誌』> 」
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