独立と周辺諸国とは? わかりやすく解説

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独立と周辺諸国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 07:04 UTC 版)

ボツワナの歴史」の記事における「独立と周辺諸国」の解説

1966年9月30日ボツワナ共和国独立果たした初代大統領セレツェ・カーマ独立先立ちエリザベス女王から直接ナイト称号を賜っている。だが、ボツワナ独立アフリカ53カ国のうち、39番目という遅いものであった理由南アフリカ共和国である。 独立後も西と北で接すナミビア南アフリカ共和国領土実質的な植民地として残り白人絶対優位政策継続していた。南は第二次世界大戦後1990年代に至るまでアパルトヘイト政策据え続けた南アフリカ共和国本国である。東の南ローデシア国名からも分かるようにセシル・ローズそのまま国家運営続けており、イギリス意向を完全に無視していた。つまり四方切れ目なく差別的な白人国家囲まれていたことになる。ジンバブエ独立1980年ナミビア1990年であり、第二次世界大戦後40年以上も植民地主義的圧力受けていたことになる。 カーマ政策選択肢少なかったアパルトヘイト諸国直接対立すれば交通路はもちろん、貿易通信はすべて遮断されてしまう。もちろん、工業製品輸入ウシ輸出アパルトヘイト諸国に頼るしかないカーマはうまく立ち回ったアパルトヘイトには反対し、実際にアパルトヘイト諸国独立運動支援しながらも決定的な経済封鎖至らぬよう細心の注意払ったイギリスコントロールされることなくあくまでも関係を重視しアフリカ他地域独立国家との通商進めた。さらに自ら王位継承者であったにもかかわらず法制度の改革通じて首長貴族の力を削ぐ政策打ち出したカーマにとって、ツワナ人にとって幸運だったのが、ジュワネングにおいて世界最大規模ダイヤモンド鉱山発見したこと、さらに独立後の1967年発見したことだった。独立時点ではボツワナ世界で最も貧し10カ国に含まれており、100万頭の放牧ウシ30万人単純労働者以外には何もなかった。イギリス政策により国内インフラストラクチャはなきに等しかった。しかし、もし独立以前ダイヤモンド発見されていればセシル・ローズ時代はもちろん、第二次世界大戦後であってもボツワナ独立どころか周辺アパルトヘイト諸国併合されしまっていただろう。実際に重要な鉱物資源産出する南部アフリカの国はすべて南アフリカ共和国資本傘下組み込まれしまっている。 新生ボツワナにとって、最初の困難は南アフリカ共和国との緊張関係である。1970年に至るとボツワナ南アフリカ共和国からの亡命者受け入れようになったアパルトヘイト打倒目指すネルソン・マンデラアフリカ民族会議直接協力しないように気をつけていたが、南アフリカ政府疑惑理由陸軍派遣国境地帯戦闘では一方的な殺戮を受ける。越境攻撃数次及んだが、ボツワナ反撃しなかった。 次の困難は1972年から1979年にかけて勃発した隣国ローデシア内戦である。ボツワナ難民キャンプができ、ジンバブエ=アフリカ人民同盟とジンバブエ=アフリカ民族同盟兵士入り込んだこのため国境地帯何度もローデシア軍爆撃機による攻撃受けている。1980年ジンバブエ独立するまで緊張続いた南アフリカ共和国ホームランド政策には対抗しようがなかった。都市黒人の波から守り表面的な自治与えることで国際社会批判かわそうとしたホームランド政策ツワナ人にも大きな影響与えている。振り返ればベチュアナランド保護領となったとき、ツワナ人領域南端南アフリカ共和国分割されていた。ツワナ人一部、いや人口にして本国の2倍の人々独立国となった南アフリカ国内ホームランドボプタツワナ」に閉じ込められていたからだ。不毛の地押し込められ抑圧され同胞を救うためにホームランド解放をうたう野党ボツワナ人民党主張反論するのは困難だったろう。 しかし、社会制度変革経済運営外交に関するカーマ政策評価され続けた1969年1974年1979年総選挙はいずれカーマボツワナ民主党議会過半数占めた1980年カーマガンにより倒れたカーマ偉大な政治家であったかどうか評価分かれるだろう。しかし厳しい状況のなかでうまく立ち回ったことは確かだダイヤモンド貿易得た利益貴族集団には配分せず、武器兵力にも回さなかった。他のアフリカ諸国陥った急速な工業化政策にも踏み込まなかった。その代わりダイヤモンド採掘牧畜業以外の産業育成教育、特に初等教育充実にすべて使ったカーマ政策功を奏し2000年時点ボツワナ産業人口率は第三次産業が58.6%を占めるまでになっている識字率80%に達した国民一人あたりの総所得2003年時点で3530ドルである。これは、アフリカ最大工業国南アフリカ共和国の2750ドルをも上回っている。

※この「独立と周辺諸国」の解説は、「ボツワナの歴史」の解説の一部です。
「独立と周辺諸国」を含む「ボツワナの歴史」の記事については、「ボツワナの歴史」の概要を参照ください。

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