独立とビルマ共産党及びカレン民族同盟の蜂起とは? わかりやすく解説

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独立とビルマ共産党及びカレン民族同盟の蜂起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 17:42 UTC 版)

ミャンマー内戦」の記事における「独立とビルマ共産党及びカレン民族同盟の蜂起」の解説

ミャンマーという国は周囲ひらがなしの字逆さにした山脈地帯囲まれた国であり、中央の平原地帯人口が多いビルマ族が、周囲山岳地帯人口少ないが多種多様な民族居住している。ミャンマー1948年1月ビルマ連邦として独立当初与党ビルマ共産党(CBP)、アウンサン派、ウー・ヌ派の三派合同であるAFPFLだったが新生ビルマ指導者となったウー・ヌビルマ共産党排除しようとした。ウー・ヌ政権反共政策に対してビルマ共産党1948年4月2日蜂起同時に中央政府仏教化政策に反発したカレン族カレン民族同盟(KNU)とその軍事部門カレン民族解放軍KNLA)を結成し参戦、また与党AFPFL民兵組織であり、ビルマ国軍前身である人民義勇軍PVO)のうち国軍編入されなかった部隊国軍内のカレン族兵士共産党シンパビルマ共産党及びKNU同調し離反するという内戦勃発した国軍からの離反は実に将兵42%と保有兵器45%に及んだ。また1949年中国国内から国共内戦敗れた中国国民党KMT軍部隊がシャン州逃れ現地少数民族結託して同地域を占拠した泰緬孤軍)。これらの事象重なり1949年段階ではウー・ヌ政権ラングーン周辺半径10km以内のみを実効支配するだけであり、ビルマ政府ならぬラングーン政府揶揄されていた。対すビルマ国軍も元ビルマ国民軍司令官ネ・ウィン将軍中心に再編成され各勢力寄り集まりだったビルマ軍整理し少数民族出身幹部放逐したうえでかつてのビルマ国民軍出身者多く幹部登用して組織立て直した。これにより1953年までにウー・ヌ政権ビルマの主要地域の回復成功し1960年代にはビルマ中華人民共和国共同作戦中緬国境作戦)により国民党残党軍はビルマ領内から掃蕩されタイ逃れた一方でシャン州など連邦構成する各州自治権拡大要求するようになった。これらの動きに対してビルマ共産党KNLA国民党軍との戦い矢面立っていた国軍文民政権弱腰だと不満を持つようになった

※この「独立とビルマ共産党及びカレン民族同盟の蜂起」の解説は、「ミャンマー内戦」の解説の一部です。
「独立とビルマ共産党及びカレン民族同盟の蜂起」を含む「ミャンマー内戦」の記事については、「ミャンマー内戦」の概要を参照ください。

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