アラブ・イスラム共和国とは? わかりやすく解説

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アラブ・イスラム共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/08 17:52 UTC 版)

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アラブ・イスラム共和国

1974 - 1974
(国旗)

現在のアラブ連盟(グレー)、アラブ・イスラム共和国(緑色)
公用語 アラビア語
首都 未定に終わる
元首等
xxxx年 - xxxx年  なし
面積
1974年 1,923,151km²
人口
1974年 7,856,600人
変遷
国家統一案に署名 1974年1月11日
中止 1974年

アラブ・イスラム共和国は1974年に提案された国家統一案。現在のチュニジアリビアされていた。[要追加記述]人口7,856,600人、面積1,923,151km²(両方とも1974年)だった。首都や政府は決まらなかった。

成立

歴史や地域の文脈上、アラブ諸国は統一を理想としており今までアラブ連合共和国アラブ連邦アラブ国家連合アラブ共和国連邦など色々と連合や統合をしてきたが、あまり長続きしなかった。アラブ・イスラム共和国もその一つだった。

チュニジアとリビアはリビアの統治者だったムアマル・カダフィによって1974年1月11日、アラブ・イスラム共和国という一つの国家になることに署名した。本当はアルジェリアモロッコも統合したかったが、そこまで進まなかった。理由は経済の成長や、アラブ社会の発言力を高めるためだった。そして理想としてアルジェリアやモロッコなど周辺の国々と一緒に北アフリカ合衆国の形成だった。

失敗

だが署名したものの、実用的なところまで進まず、結局統合は実現せず案という程度に留まってしまった。だがリビアはアラブ連邦共和国に参加しており、両国は1989年にアルジェリア、モロッコ、モーリタニアアラブ・マグレブ連合を結成している。アラブ・イスラム共和国の実現はされなかった。

このように、アラブ諸国はアラブ連盟もつくり、徐々に統一へと動いていった。だが北アフリカなどで2011年からアラブの春が起こり、国の政情の安定はしていない。

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