毛呂山町民憲章とは? わかりやすく解説

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毛呂山町

(毛呂山町民憲章 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 01:36 UTC 版)

もろやままち 
毛呂山町
鎌北湖の桜
毛呂山町旗 毛呂山町章
日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
入間郡
市町村コード 11326-3
法人番号 6000020113263
面積 34.07km2
総人口 34,026[編集]
推計人口、2025年5月1日)
人口密度 999人/km2
隣接自治体 坂戸市日高市飯能市入間郡越生町比企郡鳩山町
町の木 ユズ
町の花 キク
町の鳥 メジロ
毛呂山町役場
町長 井上健次
所在地 350-0493
埼玉県入間郡毛呂山町中央2丁目1番地
北緯35度56分30秒 東経139度18分58秒 / 北緯35.94153度 東経139.316度 / 35.94153; 139.316座標: 北緯35度56分30秒 東経139度18分58秒 / 北緯35.94153度 東経139.316度 / 35.94153; 139.316
町庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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毛呂山町(もろやままち)は、埼玉県の西部に位置し、入間郡に属する

人口は2022年6月1日現在、32,799人。

概略

西部は自然が残る外秩父山地、北東には岩殿丘陵がかすめ、東部は水田が広がる低地、中央部をJR八高線東武越生線が走り、沿線を中心に宅地化が進んでいる。果樹園が多く、特にユズの産地として知られている。

地理

東京都心から50km圏内の埼玉県南西部に位置し、東西約9km、南北約7.5kmで、中央部がくびれた形をしている。

秩父山地関東平野が接する八王子構造線にまたがり、西部の緩やかな山地は標高約300 - 400mで、外秩父山地の東縁部にあたり、秩父古生層が広く分布している。一部が県立黒山自然公園に指定されており、農業用灌漑貯水池である鎌北湖はその中心となる湖である。この湖から飯能市天覧山まで奥武蔵自然歩道が伸び、ユズをはじめとする果樹園や畑が多く自然環境に恵まれていることから、観光客がハイキングなどに訪れている。

南部の丘陵地帯には武者小路実篤が理想社会を目指して創設した「新しき村」があり、1939年宮崎県から移住して以来、現在も農業を基盤とした共同生活を続けている。

中央部から東部にかけては越辺川(おっぺがわ)と高麗川に挟まれた標高約60m前後の平地で、表面は関東ローム層に覆われている。

町内を走る東武越生線は坂戸駅で東武東上線に接続し、沿線は東京都内の通勤圏に入ることから町内には住宅団地が多い。武州長瀬駅近辺に1959年(昭和34年)に武蔵野霊園が開園したのと合わせて日生団地と長瀬団地といった郊外住宅団地が造成されたのがはじまりで、両団地の成功と都市化はさらなる住宅団地造成と、他デベロッパーによる同駅周辺の住宅団地の造成を呼び込み、かつては森林で占められていた武州長瀬駅近辺は町の全世帯数の35%(1972年当時)を占める町内の一大住宅団地エリアを形成するに至った[1]。近年においても、1997年(平成9年)からガーデンシティ目白台の開発が行われている。

主な地目別構成比は、山林40.2%、畑14.0%、その他13.8%、宅地13.5%、雑種地12.8%、田4.7%、原野0.9%、池沼0.1%となっており、宅地やその他の地目が増加し、森林や農用地等の減少が進んでいる。また、首都圏からのアクセスも良く地形が適当であったことからゴルフ場も多く開発されている。

歴史

縄文中期頃にはすでに人々が生活をしていた痕跡があり、これまでに約120ヶ所の遺跡が確認されている。鎌倉時代には鎌倉街道上道が整備された。

  • 1871年12月25日明治4年11月14日) - 廃藩置県による第1次府県統合が行われ、現在の町域は入間県の管轄となる。
  • 1873年(明治6年)6月 - 入間県と群馬県が統合され、熊谷県の管轄となる。
  • 1875年(明治8年) - 入間郡堀込村・馬場村・平山村が合併して岩井村となり、現在の町域に川角村・西戸村・市場村・箕和田村・西大久保村・大類村・苦林村・下川原村・毛呂本郷・長瀬村・小田谷村・前久保村・岩井村・滝野入村・権現堂村・阿諏訪村・大谷木村・宿谷村・葛貫村の19村が成立する。
  • 1876年(明治9年)8月 - 熊谷県が廃止され、埼玉県の管轄になる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、川角村・西戸村・市場村・箕和田村・西大久保村・大類村・苦林村・下川原村が合併し、現在の町域の東部が川角村となる。毛呂本郷・長瀬村・小田谷村・前久保村・岩井村が合併し、現在の町域の中部が毛呂村となる。滝野入村・権現堂村・阿諏訪村・大谷木村・宿谷村・葛貫村が合併し、現在の町域の西部が滝野入村となる。
  • 1891年(明治24年)8月20日 - 滝野入村が名称を変更し、山根村となる。
  • 1939年昭和14年)4月1日 - 毛呂村と山根村が合併し、毛呂山町となる。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 川角村と合併し、毛呂山町となる。
  • 1957年(昭和32年)8月1日 - 入間郡坂戸町の一部を編入する。
  • 1962年(昭和37年) - 武州長瀬駅周辺に団地開発がはじまる。
  • 1968年(昭和43年) - 毛呂山町公民館を建設する。
  • 1978年(昭和53年) - 埼玉県立毛呂山高等学校が開校する。
  • 1986年(昭和61年)4月1日 - 防災行政無線運用開始。
  • 1987年(昭和62年) - 新図書館が開館する。
  • 1989年平成元年) - スポーツ健康都市を宣言する。
  • 1990年(平成2年) - 毛呂山町民憲章を制定する。
  • 1993年(平成5年) - 歴史民俗資料館が開館する。
  • 1999年(平成11年) - ゆずの里オートキャンプ場がオープンする。
  • 2004年(平成16年) - 町界町名地番整理事業が開始される。
  • 2008年(平成20年) - 埼玉県立毛呂山高等学校が廃校となる。

人口

毛呂山町と全国の年齢別人口分布(2005年) 毛呂山町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 毛呂山町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
毛呂山町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 20,006人
1975年(昭和50年) 25,807人
1980年(昭和55年) 31,197人
1985年(昭和60年) 34,467人
1990年(平成2年) 38,746人
1995年(平成7年) 39,808人
2000年(平成12年) 39,711人
2005年(平成17年) 39,122人
2010年(平成22年) 39,052人
2015年(平成27年) 37,275人
2020年(令和2年) 35,366人
総務省統計局 国勢調査より

20歳代前半人口が突出しているのは、町内の医科大学と医療系専門学校、および近接する坂戸市内の大学へ通学する学生が転入しているためと推定される。

行政

毛呂山町民憲章

1989年にスポーツ健康都市を宣言した毛呂山町が1990年3月22日、毛呂山町告示第11号として採択した憲章である。本則は、概ね道徳を重んじ地域の発展に寄与することを旨としている。この時の町長は、1967年以来6期目在職23年目を迎えた下田養平であり、1991年にこの6期目を最後に引退していることから、同町長による町政の精神的集大成と見ることもできる。

広域行政

一部事務組合
協議会
  • 埼玉県川越都市圏まちづくり協議会(通称「レインボー協議会」):川越市坂戸市鶴ヶ島市入間郡毛呂山町・越生町比企郡川島町の3市3町で構成され、各市町がそれぞれ進めている地域特性を生かしたまちづくりを広域的視点から互いに連携・協力しながらひとつの都市圏として発展していくことを目指している。例として図書館などの公共施設の相互利用、広報紙の相互掲載、参加市町の観光スポットを紹介した「広域観光ガイド」の発行等を行っている。かつて日高市が所属していたが、令和元年(2019年)度をもって退会した。ただし公共施設の相互利用については継続している。

議会

町議会

  • 定数:14人
  • 議長:佐藤秀樹(2017年5月31日就任[2]
  • 副議長:岡野 勉(2017年5月31日就任[2]

衆議院

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
大塚拓 48 自由民主党 117,002票
杉村慎治 45 立憲民主党 80,756票
神田三春 67 日本共産党 21,464票

経済

農業

自然環境を生かした農業を展開し、ユズリンゴのもぎ取り園などの観光農業が盛ん。ユズは昭和初期から栽培され、日本で最も古い産地といわれている。生産地である桂木地区から「桂木ゆず」の銘柄で全国的に有名。また鶏卵の生産額は県内第2位となっている。庭先や直売所で地元の消費者や観光客に果樹や野菜、農産加工品などを販売している。1990年代以降は農業従事者の高齢化、労働力の流出や兼業化、耕作地の減少など厳しい状況に置かれつつある。

商業

武州長瀬駅を中心とする商店街がシャッター通りと化したため、購買力は町外へ流出する傾向にあったが、1990年代後半から中心部に大型店が進出したことで、町内での購買力が回復している。

金融機関

地域

健康

  • 平均年齢:50.1歳(男=49.1歳、女=51.1歳)[3]

教育

埼玉医科大学
小学校
  • 毛呂山町立泉野小学校
  • 毛呂山町立川角小学校
  • 毛呂山町立光山小学校
  • 毛呂山町立毛呂山小学校
中学校
高等学校
特別支援学校
  • 埼玉県立毛呂山特別支援学校
大学

公共施設

国の施設
町の施設
  • 中央公民館
  • 東公民館
  • 福祉会館(ウィズもろやま)
  • 毛呂山町立図書館
  • 老人福祉センター山根荘
  • 歴史民俗資料館
  • 保健センター
  • 教育センター
  • 児童館
  • 学校給食センター
  • 総合公園体育館
  • 大類グラウンド
  • 毛呂山町デイサービスセンター

警察

消防

電話番号

市外局番は町内全域が「049」。市内局番が「2XX」の地域との通話は市内通話料金で利用可能(川越MA)。収容局は毛呂山2局のみ。

郵政

郵便番号は町内全域が「350-04xx」(越生郵便局が集配を担当)である。

住宅団地

  • 日生団地
  • 長瀬第一団地
  • 長瀬第二団地
  • 長瀬第三団地
  • 長瀬第四団地
  • 角木団地
  • 東原団地
  • 岡本団地
  • ガーデンシティ目白台
  • 日化団地

交通

鉄道

武州長瀬駅
東毛呂駅
毛呂駅

町への主要アクセスは東武越生線であり、越生線は坂戸駅において東武東上本線と接続しており、池袋駅までは約1時間程度である。

路線バス

  • 川越観光自動車(川越観光バス)
    • 東毛呂駅 - 埼玉医大 - 埼玉医大保健医療学部(日高市)
    • 坂戸駅(坂戸市) - 苦林 - 大橋(鳩山町) ※町内のバス停は「苦林」のみ
  • 国際興業(国際興業バス)
    • 飯能駅(飯能市) - 高麗川駅(日高市) - 埼玉医大保健医療学部(日高市) - 埼玉医大

かつては、坂戸駅~越生梅林(東武バス)、東毛呂駅~鎌北湖(東武バス→川越観光バス)、東毛呂駅~ガーデンシティ目白台循環(東武バス→川越観光バス)のバス路線が存在したが廃止されている。

コミュニティバス

タクシー

タクシーの営業区域は県南西部交通圏であり、富士見市所沢市飯能市和光市川越市東松山市などと同じである。

道路

県道

主要地方道
一般県道

文化

出雲伊波比神社
滝ノ入・ローズガーデン

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

名産品

出身・ゆかりの著名人

脚注

  1. ^ 首都圏の都市成長前線帯に沿ける小売商の形成(埼玉県毛呂山町長瀬団地の場合) 田村正夫著
  2. ^ a b “議会人事”. 議会だより もろやま 97号 (毛呂山町議会). http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1374467933258/simple/97.pdf 2017年10月14日閲覧。 
  3. ^ 統計もろやま 07国勢調査”. 毛呂山町. 2022年11月7日閲覧。
  4. ^ 毛呂山町へようこそ!”. 毛呂山町. 2021年5月20日閲覧。
  5. ^ ゴールドポストプロジェクト 第61号 森さやか”. 首相官邸 オリンピック・パラリンピックレガシー推進室. 2022年6月10日閲覧。

関連項目

外部リンク


毛呂山町民憲章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:10 UTC 版)

毛呂山町」の記事における「毛呂山町民憲章」の解説

1989年スポーツ健康都市宣言した毛呂山町1990年3月22日毛呂山町告示第11号として採択した憲章である。本則は、概ね道徳重んじ地域発展寄与することを旨としている。この時の町長は、1967年以来6期在職23年目を迎えた下田養平であり、1991年にこの6期目を最後に引退していることから、同町長による町政精神的集大成と見ることもできる

※この「毛呂山町民憲章」の解説は、「毛呂山町」の解説の一部です。
「毛呂山町民憲章」を含む「毛呂山町」の記事については、「毛呂山町」の概要を参照ください。

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