死夢
『出雲国風土記』出雲の郡宇賀の里 脳(ナヅキ)の磯の西方に岩戸があり、岩屋の内に穴がある。夢の中でこの磯の岩屋近くまで行った者は、必ず死ぬ。
『ギュルヴィたぶらかし(ギュルヴィの惑わし)』(スノリ)第49章 バルドルが、自分の命にかかわる不吉な夢を見た。バルドルがその夢をアース神たちに告げると、神々はあらゆるものに、バルドルに危害を加えないことを誓わせた。しかしバルドルは死んだ→〔契約〕1。
『ギルガメシュ叙事詩』 エンキドゥは、ギルガメシュと協力して怪物フンババを殺す。その後まもなくエンキドゥは、神々の会議で死を宣告される夢・冥界の女王イルカルラ(=エレシュキガル)の家へ連れて行かれる夢を見る。エンキドゥは恐れと悲嘆のうちに病気になり、12日目に死ぬ。
『三国史記』巻10「新羅本紀」第10神武王元年 神武王が病み、背中に矢を射られる夢を見た。目覚めると腫れ物が背中にできており、王はまもなく薨去した。
『酉陽雑俎』巻1-14 帝〔唐の中宗。656~710〕が、「白烏が飛び、数十の蝙蝠が追いかけて地に落ちる」との夢を見た。目覚めて僧・万回(ばんゑ)を召すと、万回は「聖上が天に昇られる時でございます」と言上する。翌日、帝は崩御された。
『ユング自伝』11「死後の生命」 「私(ユング)」は園遊会に行く夢を見たが、そこで数年前に死んだ妹と会ってたいへん驚いた。妹は「私」のよく知っている女性と一緒にいたので、「彼女は死ぬのだ」と「私」は思った。目覚めると、夢全体は生き生きと心に残っているのに、彼女が誰だったか、どうしても思い出せない。2週間ほどして「私」は、「Aが事故死した」との知らせを受け取った。たちまち「私」は、夢の中の女性がAだったことを思い出した。
『ラーマーヤナ』第5巻「美の巻」 ラーマが、魔王ラーヴァナのランカー島に攻め入る前、羅刹女トリジャターが夢を見た。それはラーヴァナが頭を剃り、油を飲みつつロバに乗って南(=死の領域)へ進み、また、ラーヴァナの弟クンバカルナ・息子インドラジットその他の勇士たちも、頭を剃り油をあおる、という内容だった。これらはすべて死と滅亡の予兆だった。
*ロバではなく馬に乗り、南ではなく北へ行くのが、死を予示する夢、という物語もある→〔凶兆〕3aの『小栗(をぐり)』(説経)。
『今鏡』「すべらぎの中」第2「手向」 後三条院崩御の折、ある人が、「院は外国の乱れを正すため、この国をお去りになる」との夢を見た。また、嵯峨に籠居する人が、「音楽が空に聞こえ、紫雲がたなびき、『院が仏の御国にお生まれになる』とお告げがあった」との夢を見た。
『発心集』巻2-9 前滝口武士助重が死んだ夜(*→〔最期の言葉〕4)、知人である入道寂因は、夢で助重の死を知らされた。寂因が広い野を行くと死体があり、僧が多く集まって、「ここに極楽往生した者がいる。汝、これを見るべし」と言う。見るとそれは助重であった、というところで寂因は目が覚めた。不思議に思っていると、助重に仕える童が訪れて、主人の死を告げた。
『生死半半』(淀川長治)「友人の亡霊たち」 「私(淀川長治)」は映画会社の大阪支社に勤めていた頃、いつも清水光先生から外国文学のことを教わった。東京支社へ移った後、ある夜、しばらくお会いしていない清水先生の夢を見た。先生は「旅行に出かけるから、カバンを貸してほしい」と言い、「私」のカバンを持って駅へ向かった。駅には先生と見送りの「私」以外に人はなく、白いツツジの花がいっぱい咲いている。汽車に乗り込んだ先生は、「遠い所に行くんだよ」と微笑んだ。翌日、大阪支社から、清水先生の死を知らせる電話があった。
『聊斎志異』巻3-116「夢別」 男が、ある夜、親友の夢を見た。親友はうちしおれた様子で、「遠くへ行くのでお別れに来た」と告げ、岩壁の裂け目に入った。男は目覚めて、親友の死を確信し、喪服を着て出かけると、親友の家には忌中の旛がかかっていた。
『別れの夢』(星新一『未来いそっぷ』) 男の夢に、悲しげな表情の親友が現れ、「さよなら」と言って消えた。男は親友の死を確信し、電話をかけてみると、親友は無事だった。男は首をかしげるが、不意に「あれはやはり別れを告げる夢だった」と悟る。しかし気づいた時はすでに遅く、男は車にはね飛ばされてしまった。
★5.親友どうしが生前に、「先に死んだ者が、死後の世界のありさまを相手に知らせよう」と約束しておく。
『源平盛衰記』巻25「大仏造営奉行勧進の事」 笠置寺の解脱上人貞慶と東大寺の俊乗和尚重源は、互いに「先に臨終する者が、死後自分の生まれ変わった世界を知らせ、まだ存命の相手の死後の行く先を予告しよう」と約束した。建久元年(1190)6月5日の夜、解脱上人は「俊乗和尚が現世の縁尽きて、ただ今霊鷲山(りょうじゅせん)へ帰った」との夢を見た。その夜、俊乗和尚は東大寺の浄土堂で死去したのだった。
『捜神後記』巻6-19(通巻76話) 竺法師と王坦之は、死と生や善悪の報いについて論じたが、明らかにすることができなかったので、「先に死んだ者が語って知らせよう」と約束した。何年か後に、王坦之は霊廟の中で、竺法師がやって来るのを見た。竺法師は「私は某月某日に死んだ。善悪の報いは虚言(そらごと)ではなかった。君は道徳を謹しみ修めて、神明なる存在に昇るべきだ」と告げて消えた。まもなく王坦之も死んだ。
★6.死後またこの世に転生する運命の人が、転生後の人生で体験することを、前もって夢に見る。
『豊饒の海』(三島由紀夫) 大正2年(1913)夏、松枝清顕は「白衣を着、猟銃で空の鳥を撃ち落す」との夢を見た(『春の雪』34)。それは彼の生まれ変わりである飯沼勲が、昭和7年(1932)の秋に経験する出来事であった(『奔馬』23)。昭和8年初め、飯沼勲は「毒蛇に噛まれる夢」「女に変身する夢」を見た(『奔馬』33)。飯沼の生まれ変わりはタイの王女ジン・ジャンで、彼女は昭和29年(1954)春に、コブラに噛まれて死んだ(『暁の寺』45)〔*ジン・ジャンが見た夢については記述がない。また、彼女の生まれ変わりと思われたが結局そうではなかったらしい安永透は、「僕は夢を見たことがなかった」と言う(『天人五衰』28)〕。
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