滝口武士とは? わかりやすく解説

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滝口武士

読み方:タキグチノブシ(takiguchinobushi)

平安朝のころより蔵人所属し宮廷警衛あたった武士


滝口武士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/03 03:59 UTC 版)

滝口武士

滝口 武士(たきぐち たけし、1904年5月23日 - 1982年5月15日)は、大分県出身の日本の詩人

略歴

大分県東国東郡武蔵町(現:国東市)の出身。大分師範学校を卒業。

中国の大連市に渡り、安西冬衛らが大連市で創刊した詩誌『』に3号から参加(1924年)[1]、3号から23号までは実質的に滝口と安西の2人で編集を行なっていた[2]

大連では小学校の教師をしており、生徒にはのちの詩人、清岡卓行がいた[3]

他に『詩と詩論』『詩聖』『日本詩人』などに作品を投稿していた。特に『亞』に発表した作品は2行詩が多く、単純で簡素な表現形式を取っていた[1]。1933年に、『亞』に発表した作品を中心に収めた詩集『園』を発行。

1939年に帰国し、大分県で教員を勤めた。

1984年死去、享年77。

著書

  • 『園 詩集』 (1933年、椎の木社) - 1994年に滝口武士先生を偲ぶ会から再版。
  • 『道 滝口武士詩集』昭和詩大系(1985年、宝文館出版)
  • 『団栗 滝口武士作品集 回覧詩誌』全3巻 滝口武士先生を偲ぶ会 1985-87
  • 『鵲 滝口武士作品集』(1988-89年、滝口武士先生を偲ぶ会)
  • 『門 滝口武士作品集』(1990-92年、滝口武士先生を偲ぶ会)
  • 『生活 詩綜合誌 滝口武士作品集』(1993年、滝口武士先生を偲ぶ会)
  • 『庭 滝口武士詩集』大坂透編 (1995年、朝日書林)

脚注

  1. ^ a b 倉田紘文「滝口武士論 (一) : 詩誌『亜』の時代」『別府大学紀要』第23巻、別府大学会、1982年1月、17-27頁、ISSN 0286-4983CRID 1050564287797290368 
  2. ^ エリス俊子「畳まれる風景と滞る眼差し : 『亞』を支える空白の力学について」『立命館言語文化研究= 立命館言語文化研究』第22巻第4号、立命館大学国際言語文化研究所、2011年3月、119-129頁、doi:10.34382/00002625hdl:10367/4077ISSN 0915-7816CRID 1390853649752547584 
  3. ^ 清岡卓行『窓の緑 : 随筆集』小沢書店、1977年。doi:10.11501/12494155NCID BN13481927全国書誌番号: 77032652https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12494155 

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