欧州訪問とは? わかりやすく解説

欧州訪問

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:50 UTC 版)

昭和天皇」の記事における「欧州訪問」の解説

1971年昭和46年)には9月27日から10月14日にかけて17日間、再度イギリスオランダスイスなどヨーロッパ諸国7か国を香淳皇后同伴訪問した。これが皇室史上歴代天皇で(即位後に)初め日本国外訪問した出来事であったまた、香淳皇后にとっては人生初の海外訪問となったお召し艦を使用した前回皇太子時代の欧州訪問)と違い日本フラッグキャリアある日航空ダグラス DC-8特別機使用した海外訪問皇后念願であり、高松宮妃喜久子1963年頃に吉田茂元首相を介して佐藤栄作首相当時)に、昭和天皇香淳皇后外遊の話を伝えた。またベルギー訪問に際しては、喜久子妃が同国王弟リエージュ公アルベール王子当時)に働きかけ実現させた(詳細当該項目参照)。 大戦中に剥奪され昭和天皇ガーター勲章について、訪問先立つ4月7日イギリス王室は「剥奪され日本国天皇の名誉を全て回復させる」という宣言発し天皇は同騎士団復帰することとなった詳細当該項目参照)。 訪問先には数えられていないが、この時、経由地として1971年昭和46年9月27日現地時間9月26日)に米国アラスカ州アンカレッジ立ち寄っており、エルメンドルフ空軍基地到着した飛行機から降りたのが、歴代天皇初め外国の地を踏んだ瞬間となった。そこで、ワシントンD.C.ホワイトハウスから訪れたアメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンパット夫人ファーストレディー)の歓迎受けてニクソン大統領昭和天皇それぞれ歓迎スピーチ感謝の辞を述べた後、同基地内のアラスカ地区軍司令官邸でニクソン大統領会談実質的にアメリカ合衆国訪問した。 なお、この昭和天皇ニクソン大統領との会談当初の予定になく、欧州歴訪のための給油昭和天皇休息のためにアメリカ合衆国立ち寄るだけの予定であったのだが、当初1時間予定だった滞在を2時間延長することも合わせてアメリカ政府側が要望し急遽会談決定した8月5日極秘公電によると、知日派で元駐日大使ウラル・アレクシス・ジョンソン政治担当国務次官牛場信彦駐米大使対し会見実現すれば日米関係のために何物にも勝る有益なことと考える」と強調した牛場大使会談は「時宜適したもの」と日本政府報告した米国政府側は昭和天皇大統領単独会見30分、福田赳夫外務大臣当時第3次佐藤改造内閣佐藤栄作首相)、ウィリアム・P・ロジャーズ国務長官交えた会談30分とする予定提案した。しかし、日本政府側は両外相同席させる慣行は「政治会談場合のこと」として拒否した。米側が会談発表の際に準備した意義強調するコメント」にも、「絶対に政治色帯びさせないこと」と注文付けた。ところが、米側は単独会見10分、外相同席会談20分の予定を再提案した福田外相同年9月20日牛場駐米大使宛て公電で米側の提案を「日本人には天皇陛下政治会談に引込まんとしたとの印象与える」「我が方としては迷惑千万である。先方認識是正されたい」などと批判した。これは当時、「天皇陛下との会談を、ニクソン大統領中華人民共和国訪問悪化した日米関係修復するのに利用しようとしているのではないか」と福田外相懸念し象徴天皇制前提揺らぐ可能性憂慮したためである。福田公電1週間後実現したアンカレッジ滞在では「天皇皇后ニクソン夫妻」4人による写真撮影歓談15分昭和天皇大統領単独会見25分、両外相同席会談10分とすることで決着した会談の際の昭和天皇の発言内容記録した外交文書黒塗り施され未公開となった結果として会談実現し史上初めての日本国天皇アメリカ合衆国大統領による会談が行われた。 当初訪問地であり、皇室王室同士交流も深いデンマークベルギーでは国を挙げて温かく歓迎された。休養をかねての非公式訪問となったフランスでは当時母国イギリス追われ事実上同国亡命生活をしていた旧知ウィンザー公元英国国エドワード8世)と隠棲先で50年ぶりに再会して歓談ウィンザー公と肩を組んでカメラおさまった姿が公側近より目撃されている。 しかし、第二次世界大戦当時植民地支配していたビルマシンガポールインドネシアなどにおける戦いにおいて日本軍敗退し捕虜となった退役軍人が多いイギリスオランダ両国とも日本同様に立憲君主国)では抗議運動を受けることもあった。特に日本軍敗退したことをきっかけアジアにおける植民地を完全に失い国力大きく低下したオランダにおいては、この昭和天皇を恨む退役軍人中心とした右翼勢力から生卵魔法瓶投げつけられ同行した香淳皇后憔悴したほど抗議はひどいものであったこうした抗議反発について、昭和天皇帰国11月12日記者会見で「事前に報告受けており、驚かなかった」とした上で各国からの「歓迎無視できない思います」とした。また、3年後金婚迎えたことに伴う記者会見で、香淳皇后とともに、「夫婦生活50年で一番楽しかった思い出」として、この訪欧挙げた

※この「欧州訪問」の解説は、「昭和天皇」の解説の一部です。
「欧州訪問」を含む「昭和天皇」の記事については、「昭和天皇」の概要を参照ください。

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