欧州航路の無線調査 伊予丸無線局長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 17:09 UTC 版)
「米村嘉一郎」の記事における「欧州航路の無線調査 伊予丸無線局長」の解説
最初はアメリカ航路の船舶のみに無線装置が設置されていたが、欧州航路への搭載に向け、嘉一郎は伊予丸無線局長として調査を実施した。1909年(明治42年)5月横浜を出港し、上海、香港、シンガポール、ペナン、コロンボ、スエズ、ポートサイド、マルセイユ、ロンドン、アントウェルペン、ミドルスブラを往復して9月末に横浜に帰国した。その結果「欧州では、接近して多数の無線局があり、日夜電波の交換が絶えないので、太平洋でするように遠距離通信の必要が無く、またそれを強行するものもない」という理由から欧州航路には時期尚早として見送られ、欧州航路の船舶無線は第一次世界大戦勃発後の1914年(大正3年)7月まで待つことになる。
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