日本キリスト教国化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:53 UTC 版)
「ダグラス・マッカーサー」の記事における「日本キリスト教国化」の解説
マッカーサーはキリスト教聖公会の熱心な信徒であり、キリスト教は「アメリカの家庭の最も高度な教養と徳を反映するもの」であり、「極東においてはまだ弱いキリスト教を強化できれば、何億という文明の遅れた人々が、人間の尊厳、人生の目的という新しい考えを身に付け、強い精神力を持つようになる」と考えていた。そのような考えのマッカーサーにとって、日本占領は「アジアの人々にキリスト教を広めるのに、キリスト生誕以来の、比類ない機会」と映り、アメリカ議会に「日本国民を改宗させ、太平洋の平和のための強力な防波堤にする」と報告している。日本の実質最高権力者が、このように特定の宗教に肩入れするのは、マッカーサー自身が推進してきた信教の自由とも矛盾するという指摘が、キリスト教関係者の方からも寄せられることとなったが、マッカーサーはCIEの宗教課局長を通じ「特定の宗教や信仰が弾圧されているのでない限り、占領軍はキリスト教を広めるあらゆる権利を有する」と返答している。 マッカーサーは、国家神道が天皇制の宗教的基礎であり、日本国民を呪縛してきたものとして、1945年(昭和20年)12月15日に、神道指令で廃止を命じた。神道を国家から分離(政教分離)し、その政治的役割に終止符を打とうとする意図に基づく指令であった。一方でマッカーサーは、神道指令発布と同日の1945年12月15日に南部バプテスト教会のニュートン牧師(Louie De Votie Newton)へ宛てた書簡で「日本人の精神生活は戦争で空白になっているから、キリスト教を日本人に布教するのは、今が絶好の機会である」と語っている。 マッカーサーはその権力をキリスト教布教に躊躇なく行使し、当時の日本は外国の民間人の入国を厳しく制限していたが、マッカーサーの命令によりキリスト教の宣教師についてはその制限が免除された。その数は1951年にマッカーサーが更迭されるまでに2,500名にもなり、宣教師らはアメリカ軍の軍用機や軍用列車で移動し、米軍宿舎を拠点に布教活動を行うなど便宜が与えられた。またポケット聖書連盟に要請して、日本語訳の聖書約1,000万冊を日本で無償配布している。 1947年7月に日本社会党の片山哲を首班とする片山内閣が発足したが、片山はクリスチャンであり、マッカーサーはクリスチャン片山の総理大臣就任を喜び「今や東洋の三大強国にキリスト教徒出身の首相、中国の蔣介石、フィリピンのマニュエル・ロハス、日本の片山哲が誕生したことは広く国際的な観点から見ても意義が深い。これは聖なる教えが確実に広まっている証である・・・これは人類の進歩である」と片山内閣発足を祝福したが、マッカーサーの期待も空しく、片山内閣はわずか9ヶ月で瓦解した。 マッカーサーは自分自身を「ローマ法王と今日世界のキリスト教を代表する二大指導者」と胸を張り、全米キリスト教協議会もマッカーサーに対し「極東の救済のために神は“自らの代わり”として、あなたを差し向けたのだと、我々は信ずる」と賞賛していたが、マッカーサーが、布教の成果を確認する為に、CIEの宗教課に日本のキリスト教徒数の調査を命じたところ、戦前に20万人の信者がいたのに対し、現在は逆に数が減っているということが判明し、その調査結果を聞いた宗教課局長は「総司令はこの報告に満足しないし、怒るだろう」と頭を抱えることになった。マッカーサーらはフィリピンとインドシナ以外のアジア人は、当時、キリスト教にほとんど無関心で、大量に配布された聖書の多くが、読まれることもなく、刻みタバコの巻紙に利用されているのを知らなかった。 局長から調査報告書を突き返された宗教課の将校らは、マッカーサーを満足させるためには0を何個足せばいいかと討議した挙句、何の根拠もない200万人というキリスト教徒数を捏造して報告した。マッカーサーもその数字を鵜呑みにして、1947年2月、陸軍省に「過去の信仰の崩壊によって日本人の生活に生じた精神的真空を満たす手段として・・・キリスト教を信じるようになった日本人の数はますます増え、既に200万人を超すものと推定されるのである」と報告している。結局、マッカーサーが日本を去った1951年時点でキリスト教徒は、カトリック、プロテスタントで25万7,000人と、戦前の20万人と比較し微増したが、占領下に注がれた膨大な資金と、協会や宣教師の努力を考えると、十分な成果とは言えなかった。「占領軍の宗教」と看做され、他の宗教に比べて圧倒的に有利な立場にあったにも拘らず、マッカーサーの理想とした「日本のキリスト教国化」は失敗に終わった。
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