日本キリスト教会創設
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1940年頃、堀内友四郎、林三喜雄、熊野義孝、栗原久雄、竹森満佐一の5名で東京基督教研究所を設立し、上大崎の中川栄五郎長老宅を集会所として研究会を定期的に行った。その最初の仕事として戦後の教会形成と福音宣教に備え、『五古代教会信条』の共同翻訳が試みられ解説付きで出版された。(東京基督教研究所訳、『基本信条』(信条叢書1)、新教出版社、1946、64頁、当時4円。)底本はPhilip Schaff。後半にその原文が収められている。解説によれば、"symbola oecumenica"は、宗教改革の時代マルティン・ルターによって最初に使われたといわれる。NHKから依頼され、「植村正久の信仰」という題で第一放送で放送したことがあるが、鶴見協会の礼拝説教を休む訳にはいかないという理由で録音による放送となった(昭和23年4月25日(日曜)の朝)。1951(昭和26)年、日本基督教団から離脱し、大森教会の佐波亘らとともに日本基督教会創設に関わる。創設期には書記を2年、議長を2年、さらに再度書記を2年選ばれ奉仕した。最初の信仰告白・憲法・規則草案作成委員として選ばれ、その長として規則等の改正・整備に努力した。また、日本基督教会立の神学校設立の為に働き、神学校設立後も理事長としてその基礎を築く為に働いた。「良い伝道志願者が与えられるように、熱心に祈ること」「神学校において本当に必要なのは、私たちは、喜んでそれを捧げること」を日本基督教会全体に向かって強く訴えた。
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