日本の仏教の巡礼とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日本の仏教の巡礼の意味・解説 

日本の仏教の巡礼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 13:10 UTC 版)

巡礼」の記事における「日本の仏教の巡礼」の解説

日本の仏教における巡礼について説明する養老2年718年)、長谷寺徳道の病の床での夢に閻魔大王現れ、「世の苦し人々のために三十三箇所の観音霊場作って巡礼勧めよ」と言い起請文三十三の宝印授けた。夢から覚めた徳道宝印従い三十三箇所の霊場設けるが、世の信仰を得ることが出来ず発展しなかったため、宝印摂津中山寺石棺収めた伝えられる空海774年-835年)の入定後、修行僧らが空海足跡辿って遍歴の旅を始めた時代が経つにつれ、空海ゆかりの地加え修験道修行地や足摺岬のような補陀洛渡海出発点となった地などが加わり四国全体を「修行の場」とみなすよう修行を、修行僧修験者実行した。こうして密教修行僧などによって「修行として巡礼が行われていたわけだが、室町時代にこれが庶民にも広がったと云われている。 「四国八十八箇所」も参照 寛和2年986年)、19歳出家した花山法皇比叡山修行の後、三十三箇観音霊場巡礼発願し、書写山圓教寺性空と共に中山寺石棺宝印捜し出して永延2年988年)に紀州熊野から宝印三十三箇霊場巡礼再興祈願した。これが現在の西国三十三所起源といわれている。 源頼朝1147年 - 1199年)が深い観音信仰持っていたことから、西国倣って坂東三十三箇所霊場発願実朝の代になって成立したものと考えられている。福島県八槻都々古別神社観音像墨書銘に、「僧成弁が三十三箇巡礼中に八溝山観音堂での三百日参篭中別当求めによって天福2年1234年)に観音像作った」とある。このことからこれ以前坂東三十三箇所成立していたとみられる平安時代末期には、日本では飢饉頻繁に起きたり疫病流行し非常に多く人々死に社会乱れ乱れおまけに日本の仏教次第変質し宗派僧侶多く堕落して戒律を守らなくなってまったり人々の心を救うことはなおざりにするようになってしまっていた。まさに仏教古くから「末法」として予言されていた通りのことが日本起きてしまっていた。かくして末法思想人々支持されるようになった。「末法になってしまったこの世どうしたよいのか人々悩み苦しんだ末法という悲惨な状況前にして日本の仏教では、大きく二つ潮流生じた一方浄土信仰をする人々は、(もうこの世では救われることは絶対に無い、と考えてしまい)遥か西方に「浄土」があると信じ死後にそこに行けることで救われる信じ極楽往生を願う巡礼が行われた(後白河法皇1127年 - 1192年)の熊野詣でなど)。熊野を「極楽浄土の地」としてとらえ、熊野への巡礼さかんになった。その理由として『日本書紀』一書に「イザナミノミコト紀伊国熊野葬られた」とされていること、熊野語源説一つに「クマ=こもる」で「死者籠る地」があることで、熊野を「死者の国」とみる考え方がもともとあったため、ともされる奈良時代より修験道修行となっていた熊野三山本宮阿弥陀如来西方極楽浄土新宮薬師如来東方浄瑠璃浄土そして那智大社を「千手観音南方補陀落浄土」として「現世浄土の地」と考えることでその信仰深まった考えられる他方日蓮1222年 - 1282年)は「『法華経二十八品、「妙法蓮華経」こそ釈迦衆生救済為に説いた真実教えであり、この末法の世正すのである」と説きこの世諦めてしまって死後の西方浄土願ったり念仏唱えたりしてしまうのではなく法華経根本にすることで自分生命ありかた変えてこの世実際に幸福を築くべきだと説いた日蓮弟子のひとりの(そして役人仕事をし、仕事上の悩みかかえた四条頼基に対して「御みやづかい法華経とをぼしめせ」つまり「あなたの普段仕事の場こそが、法華経行者であるあなたにとっての修行の場だと思いなさい」といった意味の内容手紙書いて諭したとされ、日蓮の弟子その後信者たちは「普段仕事の場や普段の生活の場や普段人間関係の場こそが修行の場である」と考える。そして世界決して"俗なる場所"と"聖なる場所"に分けられているわけではない、と基本的に考え巡礼という"聖なる場所"へ行く行為自分変われるなどとは期待しておらず、(日蓮信徒は、本当に大切なのは巡礼ではなくて普段自分自身、つまりたとえば普段から自分根底にある想いをよく選び普段から全ての人々の幸福を願う想い持ち普段から良い言葉選び周囲人々に幸福をもたらすような言葉をかけ、普段から 幸福を皆にもたらすような良い行動をすることだ、などと考えているので)、結果として日蓮信徒いわゆる巡礼」に熱中するようなことはあまりない。ただそれでも日蓮宗多く宗派では、法華経には「末法の世を救う上行菩薩世が出現する」「末法にこそ本仏出現する」と予証されていた(予言されていた)と考えはするので、その本仏である日ゆかりの久遠寺池上本門寺清澄寺誕生寺(「日蓮宗四霊場」とも)のほか、鎌倉の地にある日ゆかりの諸寺(安国論寺長勝寺など)などへ巡礼行なう人も(若干は)いる。 かくして日本では観音信仰密教信仰大師信仰)、浄土信仰法華経信仰日蓮への信仰 等それぞれの立場巡礼が行われていたわけであるが、近世に入ると平和な世の中反映して庶民信仰上の巡礼目的としつつも旅行としても楽しむようになり、巡礼大衆化した

※この「日本の仏教の巡礼」の解説は、「巡礼」の解説の一部です。
「日本の仏教の巡礼」を含む「巡礼」の記事については、「巡礼」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本の仏教の巡礼」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本の仏教の巡礼」の関連用語

1
4% |||||

日本の仏教の巡礼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本の仏教の巡礼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの巡礼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS