日本のブルベの歴史とは? わかりやすく解説

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日本のブルベの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 19:27 UTC 版)

ブルベ」の記事における「日本のブルベの歴史」の解説

1990年代前半1980年代後半より実施されていたMTB用いた募集型ラリーライドのオンロード版が模索され始める。 1994年関東在住有志よってに設立された「ブルベ・ジャポン実行委員会」が設立される。これが日本ブルベ発祥となる。 1995年、「ブルベ・ジャポン実行委員会」は、日本サイクリング協会後援も受け「ルート・エヌ日本)」という独自のブルベ実施した本州5ヵ所のコース設けられたが、当時の距離は50km、100km、200kmの3種であった。「ブルベ・ジャポン実行委員会」はスターバイクジャパンというサイクリングイベントの企画運営を行う個人事務所設立に関わっており、ヨーロッパで開催されているブルベ日本合わせたスタイル導入しようしたもので、自己責任・ノーサポートという原則ACP規定したBRMと同じであるが、スタート日時任意途中仮眠時間走行時間から除外するという点が異なっていた。 1996年、ブルベ・ジャポンが認定するコース10コース拡充された。 1999年カナダ団体から日本人PBP初参加した。この際、スターバイクジャパンが中心になりPBP視察PBP開催後行われるRM会議オブザーバーとして参加し日本へのBRM導入に関する申し出が行われた。 2001年日本からスターバイクジャパンや雑誌サイクルスポーツ」が中心となり、カナダ団体ACP公認ブルベ(600km BRM:フレイザーキャニオン)へ視察2名、参加者4名が参加し、2名が認定完走した。 ブルベ・ジャポン2002実行委員会(事務局横浜市中区のスターバイクジャパン)により2002年開催予定BRM申請された。同時にACP登録団体としてのRandonners Japon(ACP登録番号600000)が発足する2002年日本からPBPへの参加念頭においた公式のBRM静岡県掛川市開催され80名が参加した(距離は200km)。この頃キューシートもなく、当日現地ルートマーカー記載した1/25000の地図コピー渡されるというシステムであり、76名が認定受けた2002年はこのほかに300km、400km、600kmが各1回ずつ開催され32人がSR取得した。 ブルベ・ジャポン2003実行委員会(事務局はスターバイクジャパン)により2003年開催予定BRM申請された。 2003年日本から21人が初めPBPエントリー。これに先立って1999年PBP視察現地ACPRM(ランドヌール・モンディオ)との情報交換カナダ600kmBRMへの日本人参加者繰りこみ等を行い特別扱い2002年PBP参加認められた。 ランドヌールジャポン設立準備委員会により2004年開催予定BRM申請された。これ以降、ブルベ・ジャポンとしての活動が行われなくなり、「BRM」「ルート・エヌ」の2本立て行われてきた日本ブルベは「BRM一本収斂されていった2004年、「RJ(ランドヌールジャポン)」が正式に横浜市青葉区本拠として活動開始しBRM開催を「ブルベ・ジャポン実行委員会直営からRJ掛川RJ堺、RJ日立RJ宇都宮RJ南足柄各地域自主開催グループ主導へと移行した北海道で「RJ(ランドヌールジャポン)北海道」が設立される日本人有志ロッキーマウンテン1200km参加する2004年BRMシリーズ開催終了後11月RJでの設立者同士トラブルによりACP登録団体としてのRandonners Japon国内組織としてのRJ分裂国内組織としてのRJAJ(オダックス・ジャパン)へと改名行いACP登録団体としてAudax Japan新規に立ち上げた(ACP登録番号600007)。日本での認定RJ代表からAJ会長へと移譲する手続き行いACP承認された。これによりスターバイクジャパンの影響力排除された。 2005年AJとして改め活動開始し日本で初の1000kmブルベ開催された。 2006年、ブルベ・ジャポン創設期から活動しているメンバー一部運営方針違いにより整理された。 これまで毎年度ごとにAJ(RJ)会員加入してAJ(RJ)が加入する団体保険利用するのがBRM参加資格であったが、BRM1開催ごとに提供されるスポット保険利用可能になった。これによりBRM無所属での参加可能になった。 2007年これまでAJRJ)の最高意思決定機関参加者一人一人加入するAJRJ会員会員総会であったが、主催者理事とする理事会が最高意思決定機関となった。これによりBRM運営参加していない人物のAJ関与する権利失った2008年埼玉宇都宮にて日本初めてFleche(フレッシュが行われる。 2009年日本開催ポイントで、世界二位ブルベ開催国となる。またオダックス埼玉開催クラブ別認定ポイント世界一クラブ認定される2010年北海道にてアジア初めて1200kmブルベ開催された。 2013年2014年2年間日本が開催ポイントで、世界一位のブルベ開催国となる。 埼玉宇都宮にて日本初めSuper Randonnées(シューペル・ランドネ)が開始される2014年これまでAJ提供していたAJ会員としての団体保険、およびBRM1開催ごとに提供されていたスポット保険廃止された。BRM参加するためには、参加者自身での保険手配必要になった。 2015年日本開催ポイントで、PBP開催年によるフランスでブルベ人気影響から世界二位ブルベ開催国後退。翌2016年以降アジア南米ブルベ隆盛により徐々に地位後退2016年一般社団法人に伴いオダックス・ジャパンが「一般社団法人オダックス・ジャパン」となる。 2019年AJ登録しているクラブ実施するAJ Permanent開始される

※この「日本のブルベの歴史」の解説は、「ブルベ」の解説の一部です。
「日本のブルベの歴史」を含む「ブルベ」の記事については、「ブルベ」の概要を参照ください。

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