新師団長と方針の変更とは? わかりやすく解説

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新師団長と方針の変更

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 04:24 UTC 版)

第10飛行師団 (日本軍)」の記事における「新師団長と方針の変更」の解説

1945年昭和20年3月1日それまで10飛行師団心得であった吉田喜八郎少将中将進級同時に13飛行師団長に異動し宇都宮教導飛行師団であった近藤兼利中将新たな10飛行師団長に親補された。吉田中将は陸軍大学校優等卒業英才であり、1937年昭和12年)に騎兵科から転科して以降航空関係要職歴任した。第10飛行師団指揮官として性能の劣る航空機要員練度不十分にかかわらず相当な成果をあげたが、強烈な積極性個性のために周囲との関係良好ない場合もあり、指揮を受ける部隊命令遂行疲弊していた。近藤中将陸軍士官学校卒業歩兵科であったが、1925年大正14年)の航空兵科創設以前より戦闘機操縦者として飛行部隊飛行学校での教育経験も豊富であった。 新師団長航空関係補給および補充逼迫している状況本土決戦のための戦力蓄える必要を考慮し、第10飛行師団主力による邀撃B-29爆撃機本格的来襲時のみに限定する方針をとった。この方針は陸軍中央部意向同様ののであるが、本土上空侵入した敵機に対して日本戦闘機出撃しないことは国民感情大きな影響及ぼしたB-292月以降夜間単機または少数機で関東および中部地区に、ほとんど連夜来襲していたのである3月に入るとB-29爆撃機による本土攻撃大都市対す焼夷弾爆撃中心になった。3月4日朝、推定150機のB-29東京上空来襲し、雲上から爆弾多量焼夷弾投下した。第10飛行師団雲量10天候不良のため出動できず、高射第1師団電測射撃をするのみであった3月9日夕刻米軍マリアナ諸島にある5つ飛行場からB-29爆撃機334機(米軍記録)を出撃させた。B-293月10日午前0時ごろより東京湾北上して東京上空来襲した。この夜は北から強風のため電波警戒機がほとんど正常に作動せず、陸軍空襲確認したのはB-29京橋区月島付近に焼夷弾攻撃行ったという情報午前0時8分に入ってからである。さらにB-29続々侵入中との情報0時15分空襲警報発令された。B-29中高度で単機または数機編隊東京都東部侵入し大規模な無差別焼夷弾攻撃東京大空襲)を行い投弾後は千葉県銚子市付近から太平洋上に脱出した日本側では来襲したB-29総数を約110機と推定した 。 第10飛行師団では近藤師団長夜間出動可能な全機出動命じたB-29邀撃急ぎ離陸した戦闘機は、中高度の空戦であるので十分にその性能発揮することが可能だった。また地上大火災による炎の明るさ照空灯がなくても敵機視認できたが、やがで煙霧上空漂い攻撃困難になった。師団では相当の戦果報告したが、米軍記録では撃墜されB-2914機、損傷42機であり、日本陸海軍戦闘機による撃墜はなく、すべて高射砲よるものとしている。 3月16日防衛総司令部飛行第4戦隊および飛行第5戦隊いずれも二式複座戦闘機使用)をそれぞれ印旛飛行場調布飛行場移動させ、第10飛行師団指揮下に置き、夜間の邀撃戦力強化した。しかし関東地区にはその後大規模な敵機来襲はなく、同月17日にはB-29爆撃機により神戸が、18日19日には艦載機により九州近畿地区が、19日25日にはB-29により名古屋それぞれ攻撃されたため、飛行第4および第5戦隊は第10飛行師団指揮下を脱し、もとの指揮下へ復帰した。 同じころ第6航空軍沖縄などを防衛する天号作戦準備のため3月10日司令部福岡移動していた。これに伴い、第6航空軍隷下にあった30戦闘飛行集団3月20日より防衛総司令部直轄となり、2月半ばより第6航空軍指揮にあった飛行47戦隊四式戦闘機使用飛行第244戦隊三式戦闘機使用)と、独立飛行17中隊一〇〇式司令部偵察機使用)は第30戦闘飛行集団指揮下に入り関東来襲する米海軍機動部隊攻撃任務あたった。。 4月2日未明推定50機のB-29爆撃機相模湾方面から本土侵入し中島飛行機武蔵工場および立川市周辺攻撃した。第10飛行師団邀撃において10機以上撃墜報告した4月4日未明には推定90機のB-29京浜地区を低高度で攻撃したが、各飛行場濃霧包まれていたために第10飛行師団出動できなかった。 4月7日午前B-29爆撃機90機のほかP-51戦闘機30機(どちらも機数は日本推定)が東京上空来襲し、江東地区攻撃したB-29戦闘機伴って攻撃するのは、これが初めであった前月硫黄島奪取した米軍は同島の飛行場整備し航続距離の短い戦闘機基地としたのである4月13日夜、推定170機のB-29爆撃機東京北西部攻撃した。第10飛行師団高射第1師団合わせて撃墜38機と戦果報告したる。4月15日夜、約200機と推定されるB-29爆撃機単機または少数機の編隊組み中高度で波状的に京浜地区侵入し大森区蒲田区、および川崎市方面焼夷弾攻撃した敵機高々度でなかったために第10飛行師団十分に活躍することができ、高射砲部隊および海軍合わせた戦果敵機撃墜70機、撃破50機以上と報じられている。

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