御嶽山の人間史
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702年(大宝2年)6月 - 役小角が開山し、高根道基が山頂の剣ヶ峰に御嶽神社奥社を創建したとされている。 774年(宝亀5年) - 信濃国司の石川望足 (石川朝臣)が勅を受けて登頂し、大己貴命と少彦名命の二神を祀り悪疫退散を祈願した。 925年(延長3年) - 白河少将重頼が登拝し、御嶽神社奥社の神殿を建造したとされている。 928年(延長6年) - 醍醐天皇の勅使により、黒沢口に御嶽神社里宮が建造された。 1161年(応保元年)- 後白河天皇の勅使が登山参拝されたと伝えられている。 1177年-1184年(治承元年-寿永3年) - 木曾義仲が打倒平氏を祈願するために登ったと伝えられている。 室町時代 - 修験者の登拝が盛んになった。 1492年-1500年(明応-大永年間) - 木曽義元が小笠原氏を打倒し、藪原峠に御嶽遥拝の鳥居を建造した。 1503年(文亀3年) - 王滝村祚宜彦五郎が『王御嶽登山清女行法巻』の祭文を書写。 1507年(永正4年) - 王滝村祚宜彦五郎が『王御嶽蔵王権現祭祀祝詞』を書写。 1560年(永禄3年)6月13日 - 木曽義昌が従者と共に武運を祈願するために登頂した。 1591年(天正19年) - 王滝村祚宜滝六郎右ヱ門が『嶽由来記』を記す。 1593年(文禄元年) - 王滝村祚宜滝六郎右ヱ門が『御嶽山縁記』を書写。 1716年-1735年(享保年間) - 本草学者の丹羽正伯らが山域で生薬の採集や調査を行った。 1719年(享保4年)6月15日 - 「山村家給人古畑助三郎以下四十一名」の道者が登拝したと記録されている。 1785年(天明5年) - 尾張の覚明行者によって黒沢口が開かれた。御嶽信仰の山として江戸時代に、一般にも開放されるようになった。 1791年(寛政3年) - 小坂口が開かれた。 1792年(寛政4年) - 代官山村良喬により御嶽山の軽精進登山が許可され、武居家から「登山に付谷中へ通達の事」が通達された。6月 - 武蔵の普寛行者が王滝口を開いた。 1849年(嘉永2年) - 普寛行者の弟子である寿光行者が御嶽山の霊草百種を採り集め、煎じて生薬としたと伝えられている。 1861年(文久元年) - 剣ヶ峰の御嶽神社奥社の祠の石垣の改修が行われ、700枚ほどの大観通宝が出土した。 1872年(明治5年) - 太政官通達により神社仏閣地の女人禁制が解かれた。 1907年(明治40年) - 御嶽山上に御嶽夏季郵便局が開設された。 1925年(大正14年) - 御嶽自動車商会(現在のおんたけ交通)が開業。 1952年(昭和27年)3月3日 - 長野県側の山域が御岳県立公園に指定される。 1954年(昭和29年)3月 - 王滝口、自動車道路の建設開始。8月8日 - 山頂直下の八丁ダルミに、御嶽教の斎場である「御嶽山頂上祭場」(日本で最高所の火葬場)が造られ、毎年「御嶽山大御神火祭」が斎行されるようになった。 1961年(昭和36年)- 南山麓に牧尾ダムが完成し中京圏の水がめとして上水道、工業用水、かんがい用水を供給している。 1966年(昭和41年)- 王滝口、有料道路林道黒石線(現在の村道41号線)が田の原まで全線開通。 1971年(昭和46年)- 黒沢口、有料道路白崩林道が中の湯まで全線開通。 1979年(昭和54年)10月28日 - 南西側斜面で水蒸気爆発が発生し、有史以来の噴火となった。 1984年(昭和59年)9月14日8時48分49秒 - 御嶽山直下を震源としたM6.8の長野県西部地震が発生し、剣ヶ峰南南東の伝上川上流で山体崩壊が発生し、岩屑なだれが流れ下った王滝川沿いの山麓に多大な被害をもたらした。この際、濁川温泉(現存せず)が流失し、経営者一家が行方不明になった。 1985年(昭和60年)- 東南東山腹におんたけスキー場(現在のおんたけ2240)が開業。 1989年(平成元年) - 御岳ロープウェイが開業し、通年運行され、冬はスキー場、その他のシーズンは、観光客や登山者に利用されている。 1996年(平成8年) - 東山腹に開田高原マイアスキー場が開業。 1997年(平成9年)4月1日 - 有料道路林道黒石線無料開放化。 1998年(平成10年)- 北岳山腹にチャオ御岳スノーリゾートが開業。 1999年(平成11年)4月1日 - 岐阜県側の山域が御嶽山県立自然公園に指定される。 2004年(平成16年)3月1日 - 麓の小坂町及び萩原町、下呂町、金山町、馬瀬村が合併して下呂市が誕生した。 2005年(平成17年)2月1日 - 麓の朝日村、高根村及び高山市、丹生川村、清見村、荘川村、宮村、久々野町、国府町、上宝村の1市2町7村が編入合併し新しい高山市となった。11月1日 - 麓の開田村、三岳村及び木曽福島町、日義村が合併して木曽町となる。 2007年(平成19年)11月13日-11月14日 - 木曽町で日本山岳修験学会(木曽御嶽学術大会)が開催される。 2014年(平成26年)9月27日 - 南東斜面で水蒸気爆発が発生し、多数の登山客が巻き込まれる(2014年の御嶽山噴火)。
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