縁記とは? わかりやすく解説

縁記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 16:06 UTC 版)

曽呂利惣八」の記事における「縁記」の解説

戦国時代半ば過ぎたころ、篠木荘の関田から出川までの地方拠点にした曽呂利という族に、惣八宗八)という親分がいた。惣八野盗の大親分であり、一般にスッパ呼ばれる忍者の類でもあった。逸話では出川大泉寺の間の、街道を通る旅人に、土をかつがせ富士塚を作らせたというものがある。惣八延徳元年1489年)に病死したが、そのとき党の者が大草村福厳寺にいる盛禅和尚を呼び引導頼んだ。すると天が曇りだし、雷鳴鳴り響いて車軸を流す勢い大雨となったその時黒雲の間から怪物が、口から火を吹きながら襲いかかった惣八家来逃げたが、和尚の上座ったまま身動きもせずお経唱えた怪物は、和尚のえらさに驚いて逃げ去り、天は青空になった。関田にある曽呂利塚は、惣八葬った墓であり、円福寺にある陣太鼓高蔵寺にある太刀は、いずれも惣八所持していたものであると伝えられている。今でもの降る晩に、惣八亡霊鬼火を灯し、内津川堤防行ったり来たりすることもあるという。

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縁記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 05:06 UTC 版)

黒白の狐-林昌寺縁記」の記事における「縁記」の解説

外之原町街道左手牛臥山林昌寺がある。廻間住んでいた昌則という人は、猟師であったある日いつものように弓矢持ち深く入ったが、日が落ちてきたので帰ることにした。日が落ち空は暗くなり、星がまばらに出てきた。迷ってしまった。道の分かれ目わからない。月が出るのを待つうちに、いつとはなく眠ってしまった。何となく、あたりにぱっと光がさしたので驚いて目を覚ますと、月が出たではなく、こぶし大の赤い火の玉次第自分に近づいてくる。何とも不思議な光物であったこのような物を見たのは初めてだった。きっとのしわざだと思い、弓に矢をつがえ放った。矢が火の玉射貫くと、たちまち火の玉二つ割れて次第燈火のようにうすれてしまった。不思議に思いそばへ寄ると、一匹黒白の狐が、矢を口にふくんで、何かを語るような様子であった。昌則は五体のしびれを感じ、「ああもったいない、臥牛山主だったのですか、そうとは知らず矢を射ったことをお許しください。」と弓を投げ捨てて大地にひれ伏して礼拝すると、不思議なことに、目の前にいた黒白の狐の姿が消えてしまった。これはきっと臥牛山主だったのだと考え頂上に登ってみると東のすみに一個石室があった。よく見ると先ほど放った矢と稲荷大明神立像だったので、一層確信深め罪の中で殺生より重いものはないということ理解し、このことを縁に今後決し殺生はしまい神前誓いその場弓矢投げ捨てて礼拝し月の光頼り自分の里に帰った。そして悟り得て、名を観空由公と改めた。後に、ふと初心の事を思い出しゆかりの地である臥牛山の麓の虎一堂建てて薬師如来安置した里人たちはこれを聞き殊勝なことと食べものなどを与えたので、昌則は喜び念仏三昧入り九十二才この世去った。この夜、不思議なことに臥牛山狐火現れ全山を包むがごとき奇観呈したということである。 牛臥山稲荷神社 牛臥山稲荷神社鳥居

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