御嶽山の生薬「百草丸」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:51 UTC 版)
多くの薬用植物が分布し、江戸時代に本草学の研究が盛んに行われ、この地域を領有していた尾張藩が薬草の採取を行っていた。1716年-1735年(享保年間)に本草学者の丹羽正伯らが山域で生薬の採集や調査を行った。1804年-1818年(文化年間)に水谷豊文が山麓を中心とする『木曽採薬記』を刊行し、山頂付近にコマクサが自生していることが記載されている。1844年(天保15年)に周辺の木曽谷の山域で採取された植物のおしば帳である『木曽産草花根皮類』が刊行され、アオノツガザクラ、オヤマリンドウ、クロユリ、スミレ、チングルマ、ミズバショウなど50種類などが図鑑型式にまとめられていた。そのうちの24種が現在の和名で記載されていた。本草学が進んでいた尾張藩に属していて、山村代官により薬草の調査、栽培、管理が行われていた 。王滝口を開いた普寛行者により、『御嶽山の霊薬百種を採り集めよく煎じて薬を製せば霊験神の如し、これを製して諸人を救え。』と村人などに伝授された。1849年(嘉永2年)に王滝口を開いた普寛行者の弟子である寿光行者が、御嶽山の霊草百種を採り集め煎じて生薬としたと伝えられていて、王滝村には「百草元之碑」には同村の胡桃沢弥七と小谷文七が普寛行者の遺法を基に百草を製造したと記載されている。御嶽信仰の広がりと共に木曽御嶽の「御神薬」の百草が各地に広まった。百草は御嶽参りのお土産とされていた。南山麓では長野県製薬(御岳百草丸)と日野製薬(御嶽山日野百草丸)が、キハダの樹皮の内側の木の層の「オウバク」を主成分とした「百草丸」(胃腸薬)を製造している。この薬箱には「山三丸マーク」と呼ばれる御嶽信仰を象徴するマーク(御嶽神社や登山道の霊神碑の刻印などでも使用されている)が印刷されている。なおこの山三丸マークを使用する商標権について製薬会社間で訴訟「平成9年(行ケ)213号 審決取消請求事件」が行われた。明治以降は兵士の常備薬として需要が高まり、山域のキハダは昭和初期には伐採し尽くされ、他の地域や海外から輸入する事態となり、現在は大半を中国のから輸入に頼っている。百草には「御嶽山の五夢草」であるコマクサ、オンタケニンジン、オウレン、トウヤク、テングノヒゲが含まれ、タカトウグサとゲンノショウコなども利用されていた伝えられている。
※この「御嶽山の生薬「百草丸」」の解説は、「御嶽山」の解説の一部です。
「御嶽山の生薬「百草丸」」を含む「御嶽山」の記事については、「御嶽山」の概要を参照ください。
- 御嶽山の生薬「百草丸」のページへのリンク