報告についての批判
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「ロズウェル・リポート」の記事における「報告についての批判」の解説
ケヴィン・ランドルKevin Randle(p.214)とスタントン・フリードマンなどの批評家たちは、この「1,000ページの報告」が、実際は豊富な支持文書を伴う23ページの報告であることを指摘した。支持文書には「誰も要求などしていないモーグル計画についての情報」も含まれる(p.113)。 フリードマンはロズウェル報告を「偽の情報が詰め込まれ、宣伝家の標準的戦術を用いたもの: データの選択的採用、罵倒、およびくどくどとした嘘の推論」であると記述した(p.112)。ランドルはこの報告を「利用可能な証拠の、限られた調査と限られたインタビューが、念頭にある使命のもとに行われたものである。それは、実際は、単に沈黙の共謀の本のもう一ページである」と記述した(p.222)。 この報告の、幾つかの特定の領域が批評家によって欠陥があると見られている: モーグルへの文書がない: 批評家たちの指摘はこうである。添付文書の事実につき、文書で述べられている信頼性の全てを考慮すると、モーグルを事件に結びつける文書は一つも発見されず、当時の記述に合うようなモーグルの装置は製造されていなかった。それにもかかわらず、報告はモーグルがもっともらしい説明であると結論づけた。マーク・ロドガー(Mark Rodeghier)とマーク・チェズニー(Mark Chesney)は以下のように述べた: 「空軍が証明しているいかなる物理的証拠、あるいはモーグル計画による気球が回収されたと明白に述べる文書の証拠が見つけられなかった……ことは明らかである……。第二に、空軍は、1947年のモーグル気球の現物を持っておらず、目撃者にそれを示して肯定的な同定をもたらしていない」。ランドルも同様の指摘をしている(p.222)。 モーグルは、回収されたと報告された残骸に似ていない: 一部の批評家によると、1947年に回収されたものが何であろうとも、多くの目撃者たちによって記述される通りなら、それはモーグルの物体についての報告の記述とは合致しない。フリードマンによると、「回収された物体は、モーグル気球の構成要素とは違って、非常に軽い重量と非常に大きな強度を含む非常に特別な性質を持っていた」(p.4)。「全てのこれらの[モーグルの]がらくたでは……[農家のマック・ブレイゼルがしたように]ロズウェルへ長い旅行をする価値があると考えることはできるわけがなかっただろう」(p.7)。 インタビューされた目撃者が5人だけで、信用できる目撃者がいない: 空軍は5人の目撃者だけにインタビューを求め、これらのうち3人がモーグルに関与していた。それはさらに、批評家にとって、彼らが好ましい理論の裏づけを捜し求めていたことを示した。ロドガーとチェズニー: 「我々は空軍がロズウェルについての文献において名前が挙がっている全ての人物にインタビューするとは確実に思えなかったが、しかしたった5人の人物にしかインタビューしなかったことは調査の真剣な意図と真のゴールに疑問を投げかける」。 批評家たちは、インタビューされたこれらの目撃者のうちの数人の証言、特にシェリダン・キャヴィットの証言に焦点を合わせ、信用性に疑いを投げかけた。フリードマンは、以前にキャヴィットが彼と他の研究家たちに与えたインタビューに基づき、重い物体の衝突の気配がない、気象観測用気球と一致する少量の残骸についてのキャヴィットの話は「単純な、率直な、そして確実に嘘な」話であると記述する(p.114)。ランドルによると、空軍の結論を信じるためには、「我々は、ロズウェルの謎への答えを持つキャヴィットが、さまざまなUFO研究家によって何回もインタビューされたにもかかわらず、その答えを遅らせていたと信じなくてはいけない」(p.222)。 無視された重要な情報を持つ目撃者たち: 1994年までに、ほとんどの目撃者たちが死去している事実は認めるけれども、批評家たちが重要な情報と称する情報を持っている、大多数の目撃者たちは生存しており、そして無視された。ロドガーとチェズニーはこの遺漏のために、空軍の真の意図に疑問を投げかけた(上を参照)。ランドルによれば、「軍の将校と民間人の両方が秘密を守るよう誓わされたことと、残骸がモーグル計画の気球からのそれと一致しないことの両方を示す」大量の直接の証拠がある。「報告の著者リチャード・ウィーヴァーは全てのこれらのデータにアクセスしていたが、研究家がそれを調査するのを拒否した。彼らの作った文脈の中でのみ陳述が聞こえる、記録されたインタビューだけが利用可能であった。インタビューが記録されたのは、直接会ってインタビューできる目撃者のうち数人だった。「ウィーヴァーはモーグル計画の説明の弱点を示すだろうから、それを即座に却下している」」。 「誤認」のために罰せられたと思われる将兵がいない: もし、批評家たちが主張するような「誤認」が、報告が記載するように単なる「ブランチャード大佐とマーセル少佐による激しい反発」なのだとしたら、なぜこれらの将兵がこの不手際の結果を経歴の一部に被らなかったのだろうか?ロドガーとチェズニー: 「激しい反発は事実だったのだ!今では一つの控え目な言葉がある……。このとてつもない不手際の後に、マーセルとブランチャード、特にブランチャードが空軍の中で成功した経歴を持っていることから、この説明はさらなる嘲笑を誘う。彼らの行動が、今空軍が主張していることだったとしたら、それは即時の降等という結果になったはずである。 破棄された文書: 要請を出した下院議員スティーヴ・シフもこの報告に疑問を持った。事件についてさらなる解明への光を投じたと思われる、重要な文書が破棄されたとの報告がある、と彼は指摘している。 「GAOの報告は、この時期にロズウェル陸軍飛行場から出て行ったメッセージが、適切な権限なしに破棄されたと述べた」。これらのメッセージは、当時の将校たちがどのように彼らの上官に事件を説明したのかを示しただろう、とシフは言った。 「これらの外に出ていくメッセージは、決して破棄されるべきでない、永久の記録であったというのが私の理解だ。GAOは誰が、あるいはなぜ、メッセージを破棄したのかを特定できなかった」。 これらの批判があるにもかかわらず、他のプロのUFO研究家たちはモーグル計画が1947年の事件への最良の説明であると結論づけた。そしてさらに、失われたモーグル気球の放球の一つがチャールズ・ムーアによって復元されたことは、空軍の結論が正しいという可能性を多くの人に提示した。
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批評家たちは、1947年の何年も後に起こった出来事が、1947年の出来事の原因を説明するのは明白に疑わしい、と報告を攻撃している。スタントン・フリードマンによると、「公式のアメリカ空軍の物語のうち最もばかげたものの一つは、墜落テストダミーというナンセンスである……。二つの墜落現場の近くのどこかに落ちたものはなかったし、1947年の出来事の6年後(1953年)より前に落とされたものもなかった」。フリードマンは、1978年にジェシー・マーセルにインタビューしてロズウェルUFO事件への大衆の興味を喚起した人物である。「ロズウェル基地病院とサンアグスティン平原の中で観察された赤毛の将校について、彼らは気が狂った説明を行った。世界クラスのパイロット、ジョゼフ・キッティンジャーは赤毛であり、気球の事故の後にロズウェル基地病院にいた。しかしそれは12年後の話だ!説明が合わないのなら、無罪が宣告されなくてはいけない」 他の批評家たちは、ジェラルド・アンダーソン(Gerald Anderson)のようなすでに信頼されていない目撃者たちを使っているのに、フランク・カウフマン(Frank Kaufman)のようなもっと説得力のある目撃者たちを無視しているとして、さらなる反対意見を育てた。UFO研究センターのマーク・ロドガーによると、「カウフマンは彼が関与した出来事についてメモに書き留めていた。これらの出来事について彼が混乱していたことを空軍が示すのは不可能だった。そのため、カウフマンが調査に含められなかったというのが最もありえそうなことである」。 目撃者たちの証言は選択的に使われた、と批評家たちは非難している。たとえば、高速度で飛行する物体と異常な残骸についての、ジム・ラグズデイルの叙述は無視された。また、空軍の説明がつじつまに合うのだとしたら、目撃者たちは回収地点で兵員たちに覚えられているはずである。いまだに彼らがいたとされるいずれかのダミー回収の場面で、目撃者の中で思い出されたという人はいない。さらに、現場で回収されたダミーはどれも身長約6フィートであり、身長4フィートの異星人の報告の原因とするには大きすぎる。 ロドガーによると、グレン・デニスの証言に関して、彼が飛行士の焼身体と異星人を混同した、あるいは1947年の数年後に彼の遺体安置場で行われた彼らの検死解剖をロズウェル基地の死体解剖と間違えた、というのは「不合理」である。一つの「誤った」記憶へと結合された、まったく異なる出来事と人々の長いリストについて、彼はこう言っている。「正気で適任な一目撃者によって一つの出来事へと無意識に結合された、全ての個々の挿話の妥当性を、読者は判断させられる。なお、彼は1959年に病院にいたこと、あるいはこれらの将兵の誰かを知っていた、または会っていたことすらも証明できていない」。 「これは単純にもう一つの政府の事実隠蔽の試みであるか、あるいはもっと悪く、明らかな無能力と税金の無駄遣いの実例である、という結論しか下せない」。
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