報告の広まり
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第20回党大会で決められたように、フルシチョフ報告は公表されず、ソ連共産党の内部に伝えられるものであった。公式発表としては、党機関紙『プラウダ』2月27日付の論説「レーニン主義の旗のもとに」において、中央委員会報告に基づいて個人崇拝批判の問題を特に重要であるとした。大会に参加した外国の共産党幹部のうち13名に対して秘密報告と決議を見せることを決定し、3月1日付で演説内容を印刷した。ソ連共産党の外国共産党・労働者党連絡部が作成した13名のリストによると、序列第1位が中国共産党の朱徳、以下、フランス共産党のモーリス・トレーズ、イタリア共産党のパルミーロ・トリアッティ、チェコスロバキア共産党のアントニーン・ノヴォトニー、ブルガリア共産党のヴルコ・チェルヴェンコフ、さらにアルバニア労働党、ハンガリー勤労者党、ルーマニア共産党、ポーランド統一労働者党のボレスワフ・ビェルト、ドイツ社会主義統一党、朝鮮労働党の崔庸健、モンゴル人民革命党、ヴェトナム労働党のチュオン・チンが並んでいる。また、特に重要な朱徳やトレーズには事前に見せた可能性がある。これ以外の党に対しても、重要度に応じて順次閲覧をさせたが、ノルウェー共産党、スウェーデン共産党、日本共産党などには閲覧は行われていない。 フルシチョフ報告は、各国の共産党において内容を広められた。大会後の最初の外国訪問先であるポーランドでは、スターリン批判の衝撃のあまりモスクワで心臓発作を起こして死亡したポーランド統一労働者党第一書記のボレスワフ・ビェルトの後継者を選ぶ会議にフルシチョフが参加し、スターリン批判の意義を説明する演説を3月20日に行った。同党はフルシチョフ報告のポーランド語訳を作成・配布し、東欧諸国でもっともスターリン批判が知られることとなった。また、ソ連による国際共産主義運動の見直しの一貫として、4月17日にコミンフォルムの解散と機関紙『恒久平和のために、人民民主主義のために!(英語版)』の発行停止を関係8党中央委員会と共同で声明した。6月に入るとユーゴスラヴィアのヨシップ・ブロズ・チトーがモスクワ入りし、スターリン批判を踏まえてソ連・ユーゴの両政府および両党の関係回復について6月20日に合意した。 ソ連国内では、フルシチョフ報告が広く知られるような措置が取られた。3月5日に開かれた党幹部会は、秘密報告を「印刷禁止」として党州委員会・地方委員会と共和国党中央委員会に送り、「すべての党員とコムソモール員、また非党員の労働者、職員、コルホーズ農民の活動分子に知らせる」ことが決定され、3月7日付で印刷に回された。パンフレットには通し番号が振られ、返却が義務付けられた。こうした措置もあって、一様ではないにせよフルシチョフ報告はソ連国民に広く知られることとなった。会合の場でパンフレットが読み上げられたり、党幹部が講演に派遣されたりした。知識人のなかには自主的な動きを試みた者もいたが、共産党はその統制を図った。10月23日にハンガリー動乱が起こると統制強化は決定的となり、公式発表以上のスターリン批判は封じ込められることとなった。 スターリン批判が世界中に知られるきっかけとなったのは、6月4日にアメリカ国務省がフルシチョフの秘密報告の英文訳を発表したことである。これは3月1日付のパンフレットに基づくものであった。中央情報局(CIA)長官アレン・ダレスはこの演説内容を入手するために、金に糸目をつけなかったという。『ニューヨーク・タイムス』6月5日付はこの全文を紙面に掲載し、大きな反響を与えた。ソ連以外の多くの共産党・労働者党の幹部はフルシチョフ報告の存在を知っていたため、党員や国民への説明に苦慮した。イタリア共産党書記長のトリアッティやアメリカ共産党書記長のユージン・デニスはスターリン批判を発表し、フランス共産党はアメリカ国務省が秘密報告を発表したことを遺憾とした。日本共産党は秘密報告の公表を黙殺した。こうした事態に対してソ連共産党も対応を余儀なくされ、6月30日の中央委員会決定「個人崇拝とその諸結果の克服について」(О преодолении культе личности и его последствий)が7月2日に発表された。この文書では、個人崇拝が起こった理由をソ連建設の客観的・歴史的条件とスターリンの個人的資質に求め、スターリンの独裁的支配にもかかわらず党内には「レーニン的中核」が存在していたこと、「個人崇拝の非難をソビエト社会制度の本質に求めようとするのは、たいへんな間違い」であるとし、共産党とソビエト政権を擁護した。
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