報告されている虐待行為
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 07:30 UTC 版)
「コソボ解放軍」の記事における「報告されている虐待行為」の解説
詳細は「コソボ特別法廷(英語版)」を参照 コソボ解放軍によって行われた紛争中および紛争後に行われた戦争犯罪について報告されている。犯罪行為は、セルビア人やその他の少数民族(主にロマ)、そしてセルビア人の当局に協力していると見られたアルバニア人に対してもなされている。。2001年のヒューマン・ライツ・ウォッチによると、次のように報告されている: コソボ解放軍は複数の虐待行為の責任がある。その中には、セルビア人や、セルビア人の国家に協力しているとみられたアルバニア人に対する殺害も含まれるコソボ解放軍はまた、紛争終結後のセルビア人、ロマ、その他の非アルバニア人の少数民族、そしてアルバニア人の政敵に対する攻撃の責任がある。(…)広域的かつ組織的なセルビア人、ロマ、その他少数民族の家屋への放火、正教会の聖堂や修道院への破壊行為、人々を家、故郷から立ち退かせることを目的とした迫害や脅迫、(…)コソボ解放軍の構成者らは明らかにこれらの多くの犯罪に対して責任がある。 ユーゴスラビア連邦共和国の当局はコソボ解放軍をテロリストと見なしている。セルビア政府もまた、コソボ解放軍が、アルバニア人を含む各民族の市民少なくとも3,276人を殺害あるいは拉致したと報告している コソボ解放軍による正確な被害者の数は不明である。セルビア政府の報告によると、1998年1月1日から1999年6月10日までの間に、コソボ解放軍は998人を殺害し、287人を拉致したとしている。NATOがコソボを占領している1999年6月10日から2001年11月11日までの間に、847人が殺害され、1,154人が拉致されている。この数値には市民と治安部隊の隊員の双方が含まれる。最初の期間では、335人が市民であり、230人が警察官、72人は不明である。民族別では、殺害された者のうち87人はセルビア人、230人はアルバニア人、18人はその他である。セルビアおよびユーゴスラビア軍が撤退した1999年6月より後で、全ての被害者は市民であり、その大多数はセルビア人であった。ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、1999年6月12日以降、セルビア人とロマあわせて1000人が殺害されるか行方不明である 旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷の主任検事カルラ・デル・ポンテは、自身の著書のなかで、コソボ紛争が終結した1999年以降に臓器取引がなされた複数の例があるとしている。それらの主張はいずれも、コソボやアルバニアの当局からは否定されている。コソボの当局はこれらの主張をでっちあげであるとして否定しており、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷はこれらの主張を裏付ける信頼できる証拠は見つかっていないとしている。しかし、2014年にその後の調査で臓器売買などの疑惑が裏付けられたとEUが発表し、2015年にはコソボ側と協議した上で法廷を設置した。2019年に首相のラムシュ・ハラディナイが捕虜の臓器密売に関してハーグの特別法廷に聴取を要請されたとして首相を辞任。2020年に特別法廷は現大統領のハシム・サチやコソボ民主党の党首で紛争時の情報機関トップであるカドリ・ベセリ元国会議長らを紛争時におけるセルビア人やアルバニア人に対する迫害や拉致、拷問、虐殺行為、臓器売買疑惑などで起訴し、それにあたってサチとベセリが特別法廷に対して何度も妨害行為を行っていたことが発表された。同年11月5日にハシム・サチが自身の訴追が確定したことを受け辞任を表明し、当日に逮捕され特別法廷へと移送された。
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