コソボ民主党とは? わかりやすく解説

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コソボ民主党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 08:22 UTC 版)

コソボ政党
コソボ民主党
Partia Demokratike e Kosovës
党首 メムリ・クラスニキ
成立年月日 1999年5月14日
本部所在地  コソボプリシュティナ
政治的思想・立場 中道右派[1][2]
アルバニア・ナショナリズム
社会自由主義[3]
経済的自由主義
親欧州主義
国際組織 欧州保守改革党
公式サイト pdk-ks.org
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コソボ民主党(コソボみんしゅとう、アルバニア語Partia Demokratike e Kosovës, PDK)は、コソボの政党。党是は経済的自由主義であり、コソボの主要な中道右派政党である。

党首は、元コソボ議会副議長のメムリ・クラスニキである。コソボ紛争の後、初めてコソボの首相に就任したバイラム・レジェピ(Bajram Rexhepi)もコソボ民主党に所属していた。他のアルバニア人政党同様に、コソボの独立、自由と民主主義の立場をとっている。

歴史

コソボ民主党は1999年5月14日に、コソボ解放軍の政治部門から、「コソボ民主進歩党」(Partia për Progres Demokratik e Kosovës, PPDK)の名で結成されたが、2000年5月21日に「進歩」の語がアルバニア語的ではないとの論争を受け、党名から外された[4]

2004年の総選挙では、党は28.9%の得票率を得て120議席中30議席を得るに留まり、45.5%の得票率を得たコソボ民主連盟に大敗を喫した。

2007年11月17日の総選挙では、35%近くの得票率を得て党首のハシム・サチは勝利を宣言し、一方的にコソボの独立を宣言する意向を表明した。サチは、22%の得票率を得て第2党となった大統領ファトミル・セイディウ率いるコソボ民主連盟との連立政権を樹立した。この選挙では、セルビア人の多くが投票をボイコットし、投票率は低かった[5]

関連項目

脚注

外部リンク





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