2007年選挙での勝利とコソボ独立宣言
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「ハシム・サチ」の記事における「2007年選挙での勝利とコソボ独立宣言」の解説
2007年のコソボの議会選挙(en)は2007年11月17日に行われた。開票率90%の段階での速報では、コソボ民主党は34%を獲得する見通しであるとされ、ハシム・サチはコソボ民主党の勝利宣言をした。国際連合が定めたセルビアとのコソボ地位協定の交渉期限が切れる12月10日にコソボの独立を宣言することをサチは表明した。コソボに住むセルビア人のほとんどが選挙をボイコットしたこともあり、投票率は45%に留まった。 しかし、2007年11月19日、欧州連合の複数の加盟国の外相らがサチ率いるアルバニア人に対して、相談のない一方的なコソボ独立宣言をしないように警告した。ルクセンブルクのジャン・アッセルボルン(Jean Asselborn)とスウェーデンのカール・ビルトは、コソボ民主党に対してあらゆる性急な行動を慎むように求めた。欧州連合の上級代表であるハビエル・ソラナは公式な独立に先立って念入りな準備が必要であることを強調した。欧州連合が2007年11月19日にコソボに関してロンドンで話し合った後、イギリスの欧州大臣ジム・マーフィー(Jim Murphy)は、国際社会の承認のない独立は、コソボの孤立化を招くと話した。 コソボの大統領であるファトミル・セイディウ(Fatmir Sejdiu)によって、早急に組閣するように命じられ、ハシム・サチは次の独立宣言の予定日を2007年12月11日とした。サチ率いるコソボ民主党はコソボ民主連盟(LDK)および新コソボ同盟(AKR)と連立を組んだ。連立与党は120議席のうち75議席を確保した。2008年1月9日、サチは議会によって賛成85、反対22で首相に選出された。このとき、サチはコソボ独立宣言を2008年前半にする意向であることを表明した。2008年2月16日、サチは翌日の2月17日が「コソボ市民の意向を反映する」要の日となることを発表し、コソボがセルビアからの独立を宣言する意向であることを強くにじませた。2008年2月17日、コソボはセルビアからの独立を宣言した。サチは新しく独立したコソボの初の首相となった。
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