2007年(平成19年)選挙
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「長崎県議会」の記事における「2007年(平成19年)選挙」の解説
投票日 - 4月8日 選挙区数 17、議員定数 46(5名減員) 市 1. 長崎市選挙区(定数14)- 香焼町、伊王島町、高島町、野母崎町、三和町、外海町、琴海町を編入。 2. 佐世保市選挙区(定数8)- 吉井町、世知原町、宇久町、小佐々町を編入。 3. 島原市選挙区 (定数2)- 有明町を編入。 4. 諫早市選挙区 (定数4)- 多良見町、森山町、飯盛町、高来町、小長井町を編入。 5. 大村市選挙区 (定数3) 6. 平戸市選挙区 (定数1)- 田平町、生月町、大島村を編入。 7. 松浦市選挙区 (定数1)- 福島町、鷹島町を編入。 8. 対馬市選挙区 (定数1)- 厳原町、美津島町、豊玉町、峰町、上県町、上対馬町が合併。 9. 壱岐市選挙区 (定数1)- 郷ノ浦町、勝本町、芦辺町、石田町が合併。 10. 五島市選挙区 (定数1)- 福江市、富江町、玉之浦町、三井楽町、岐宿町、奈留町が合併。 11. 西海市選挙区 (定数1)- 大瀬戸町、西海町、西彼町、大島町、崎戸町が合併。 12. 雲仙市選挙区 (定数2)- 国見町、瑞穂町、吾妻町、愛野町、千々石町、小浜町、南串山町が合併。 13. 南島原市選挙区 (定数2)- 加津佐町、口之津町、南有馬町、北有馬町、西有家町、有家町、布津町、深江町が合併。 郡 14. 西彼杵郡選挙区 (定数2)- 長与町、時津町の2町 15. 東彼杵郡選挙区 (定数1) 16. 北松浦郡選挙区 (定数1)- 佐々町、江迎町、鹿町町、小値賀町の4町 17. 南松浦郡選挙区 (定数1)- 新上五島町(上五島町、新魚目町、有川町、奈良尾町、若松町が合併)の1町
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2007年選挙
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「ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック」の記事における「2007年選挙」の解説
2007年総選挙では、以下の党派がブロックを構成した。 全ウクライナ連合「祖国」 ウクライナ社会民主党 改革と秩序党 (Reforms and Order Party) この選挙でウクライナ共和党会議は、ティモシェンコ・ブロックから離脱し、ユシチェンコ大統領派のわれらのウクライナ・人民自衛ブロック (Our Ukraine–People's Self-Defense Bloc) に合流し、ウクライナ共和党は地域党と合併した。 2007年9月30日、ウクライナ議会選挙で、ティモシェンコ・ブロックは156議席に議席を増やした。2006年選挙と2007年選挙を比較すると得票率において8.24パーセント、議席も27議席増の結果であった。ウクライナ中央選挙管理委員会が公表した選挙結果によれば、ティモシェンコ・ブロックが地方での集票を強化したこと、ウクライナ社会党をはじめとする少数政党の支持基盤を蚕食し、われらのウクライナ (Our Ukraine) の支持層の一部も獲得したことなどが党勢の拡大につながったとされる。 2007年10月15日、われらのウクライナ・人民自衛ブロックとティモシェンコ・ブロックは、最高会議第6回議会で連立与党を組むことで合意した。11月29日正式に両党は連立協定を締結し、両党45パーセントの議席を占めることとなった。2007年12月18日、ティモシェンコは両党の支持を得て、再び首相となった。 しかし、2008年9月、グルジア情勢や大統領権限の縮小をめぐり、ティモシェンコ・ブロックとわれらのウクライナは対立し、連立を解消した。ティモシェンコ・ブロックは、政局安定のため第一党である地域党との間に連立交渉を持った。しかし、2008年12月9日、ヴォロディーミル・リトヴィン (Volodymyr Lytvyn) が最高会議議長に選出されると、彼のリトヴィン・ブロック (Lytvyn Bloc) とわれらのウクライナとの間に連立交渉を持つようになる。交渉の結果、12月16日に三党は連立に合意した。この三党連立は、今後の抜き打ち解散と選挙に関して確約を与えていない。リトヴィンも2012年まで議長職を続けると発言した。 2010年2月7日の大統領選挙でティモシェンコは敗北が確定したもののこれを認めず、首相辞任も拒否していたが3月2日、「われらのウクライナ」がブロックの離脱を宣言、リトヴィン議長が会派の不成立を宣言し、ブロックは事実上崩壊した。
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