報告されている超自然現象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 16:44 UTC 版)
「ピオ神父」の記事における「報告されている超自然現象」の解説
神秘主義者がビジョンと苦悩を受けているように、ピオ神父のミサはしばしば何時間にも及んだ。彼の聖痕は手袋で覆われていた。バチカンでさえ超自然的な主張について懐疑的であったが、彼の働きは名声を得た。ピオ神父は魂を読む才能を持ち、目撃者の証言によれば異なる2カ所に同時に存在する能力(バイロケーション)など、さまざまな超自然現象を引き起こす能力があったと言われている。神父にまつわる超自然現象が報告されて、神父は有名になり伝説的存在となったが、当初はバチカンでさえ懐疑的であった。 1947年、後にヨハネ・パウロ2世教皇となる若いポーランドの聖職者、カロル・ジョーゼフ・ヴォイティワ神父は、ピオ神父を訪問した。ピオ神父は彼の告白を聞いたが、その際、神父は彼に、「更なる立証が必要ですが、いつかあなたは教会で最も高い地位につくでしょう。」と言った。ヴォイティワ神父は、オーストリアのアルフォンス・スティックラー枢機卿に、それを打ち明けたという。スティックラー枢機卿によれば、敬虔の業で告げられたような教皇でなく、枢機卿になった時、ヴォイティワ神父は予言が成し遂げられたと考えたとも言う。(ヨハネパウロ2世の秘書スタニスワフ・ジヴィシュは予言について否定しており、ジョージ・ワイゲルによるヨハネパウロ2世の伝記''Witness to Hope''は前述の訪問にふれているが、予言には言及していない。) 口承によれば、ヴォイティワ枢機卿は1962年に、癌を患っていたポーランドの友人ヴァンダ・プウタフスカ博士のために祈りを捧げて欲しいとピオ神父に手紙で頼んだ。後にプウタフスカ博士のガンは自然治癒したとわかった。医師らはこの現象について説明することができなかった。 ピオ神父が備えていたとされる特異な能力のため、教皇庁は二度にわたって神父に関する話の調査を実施した。しかしその後カトリック教会は、2002年にヨハネ・パウロ2世教皇がピオ神父を列聖したことで、正式に崇敬することを承認した。 1999年に出版された、アイルランドの聖職者マラキー・ジェラード・キャロルによるピオ神父の伝記では、盲目だったシチリアの女の子ジェンマ・デ・ジョルジが、ピオ神父を訪れた際に盲目が治ったとされる話を紹介している。生まれつき瞳孔がなかったジェンマは、祖母の手で1947年にサン・ジョヴァンニ・ロトンドに連れてこられた。ピオ神父に会いに行く旅の最中に、少女は蒸気船や海などの物体が見え始めた。ジェンマの祖母は、子供が治ったと思っていなかった。ジェンマは懺悔のときに、ピオ神父に慈悲を求めなかったため、祖母は神父に、ジェンマの視力を元に戻してもらえるよう神にお願いしてもらえないかと嘆願した。ピオ神父は、「子供は泣いてはいけませんし、子供のかわりにあなたが見てはいけません。あなたは子供が見えると知っています。」と、祖母に話した。その後日談として、眼科医は彼女がどのように視力が戻ったかについて究明することができなかったという。 ピオ神父は、聖ジャン=マリー・ヴィアンネに起きたと記されている出来事と同じく、サタンとその手下に対して体を張って戦い、そのことで外傷がさらに拡大したと言われている。神父は天使と意思の疎通を交わすことができ、自分に依頼がなくとも、恩恵と治癒をもたらしたと言われている。 神父が亡くなった日、神秘主義者で神のしもべ、ベネズエラのカラカスに住むマリア・エスペランサ・デ・ビアンチーニによると、ピオ神父が幻視の中に現れて、「私は、さようならを言いに来ました。私の時間が来ました。今度はあなたの番です。」と語り掛けたという。 そのときエスペランサの夫は、妻の顔がピオ神父の顔に変わるのを見た。次の日に、二人はピオ神父の訃報を耳にした。のちに人々は、エスペランサがミサの間に浮揚したり、バイロケーションを行ったりしたのを目撃したと主張した。 聖痕のあるカプチン修道会士仲間のドミニコ・ダ・チェーゼ神父の報告によると、1968年9月22日日曜日に、ピオ神父がマノッペッロの聖顔の前で跪いて祈っているのを見たという。一方でピオ神父が自分の部屋を出ていないことは確認されている。
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