嗅足組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 04:14 UTC 版)
「用心棒日月抄の登場人物」の記事における「嗅足組」の解説
佐知(さち) 【第1巻】 帰国途上の又八郎を襲撃した刺客で、恐るべき短刀術を遣う20歳過ぎの女。転んだ拍子に、自分の短刀で太ももを深く傷つけ、又八郎に治療されて命を救われた。 【第2巻】 江戸で又八郎と再会し、彼が受けた密命の手助けをしてくれることになった。国元の藩が抱えている密偵組織、嗅足組頭取の娘であり、江戸屋敷で下働きの女中として働きながら、密かに江戸嗅足組を統率している。 一度結婚したが不縁となったと又八郎に語った。そして、彼が帰国する直前、間もなく組の者と再婚すると言った。 探索を通じて、又八郎と次第に心を通わせていくようになるが、お互いに情に流されぬよう自制していた。しかし、又八郎が帰国する前夜、初めて肌を合わせた。 【第3巻】 又八郎から刺客のことを聞き、探索を開始した。 刺客の1人である杉野清五郎に斬られて深手を負ったが、偶然通りかかった結城屋に助けられる。知らせを受けた又八郎の看病を受けているうち、自然と同じ床で眠るようになった。 最後の刺客である筒井杏平を斃した翌日、間もなく帰国する又八郎と肌を合わせた佐知は、前回話した再婚話はなしになったことを告げ、自分を江戸の妻にして欲しいと願った。 一連の騒動が一段落した後、谷口を通じて、自分で縫った小袖を又八郎に贈ってきた。 佐知の配下 とよ。第2巻で、佐知が大富静馬に捕らわれたことを又八郎に知らせに来て、共に救出に行った。40歳前後。 はる。手裏剣の名手である若い女。普段は、藩主夫人に小間使いとして仕えている。第3巻では刺客に捕らえられ、激しい拷問のために廃人 同様となった。その後徐々に回復していったが、筒井杏平との最終決戦にはついに間に合わなかった。 第3巻で、佐知は、5名が国元に帰って、残っているのは佐知を含めて女9名、男2名であると又八郎に語った。そのうち、江戸嗅足組を狙う刺客たちによって、おすえという中年の下働きをしている女、他に2名の女たちが犠牲となった。また、おみのという女が門前で斬られて怪我をしている。他に、磯という40歳近い田舎から来た手伝い女然とした女、さらに花江、ます、美代という名の女密偵の名、小田孫助という勘定部屋に勤める男密偵の名が挙げられている。 谷口権七郎(たにぐち ごんしちろう) 【第2巻】 名家老と呼ばれた が、数年前に病弱を理由に藩政から退き、その後は大富派にも間宮派にも属せず、悠々自適していた。寿庵保方が彼を仲間に引き入れ、家老職に復帰させようと画策したが、本人の意志なのか間宮中老の工作によるのか、そのもくろみはついに実現しなかった。 【第3巻】 先の事件が解決して半年後、又八郎を呼び出し、自分が嗅足組の頭取 であることを告白した。すなわち、佐知の父親だが、佐知は妾腹だと言った。そして、寿庵保方が、自分に忠実な新たな密偵組織を作るため、嗅足組を壊滅させようともくろんでいること、また江戸嗅足組の面々を抹殺するために、5人の刺客を送り込んだことを告げた。そして、密かに脱藩して刺客から江戸嗅足組を守るよう密命を下す。 働いて糧を得ながら探索する苦労を知らない間宮中老と異なり、江戸に向かう又八郎に30両の支度金を持たせてくれた。 又八郎が密命を果たして帰国すると、間宮を呼んで寿庵保方の陰謀を明らかにした。寿庵が藩主の毒殺に失敗して討たれると、間宮を筆頭家老に強く推薦した。また、又八郎には個人的に30両を褒美として与えた。 平田麟白(ひらた りんぱく) 【第2巻】 又八郎が公儀隠密に拷問を受け、足に重傷を負った際、佐知が連れて行った町医者。浜町河岸の若松町にある。佐知が、まるで自宅のように気を遣わずに出入りできる家である。 【第3巻】 刺客たちに江戸嗅足組とのつながりを突き止められ、襲撃を受けたため、一家を挙げて別の場所に避難した。
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谷口 佐知(たにぐち さち) 先の嗅足組頭領、谷口権七郎の妾腹の娘で、江戸嗅足組の頭。間もなく40歳を迎える年齢。第3巻の後、又八郎は一度も江戸に来ていないため、16年ぶりの再会となった。 又八郎がもたらした榊原の指示通りに、江戸の嗅足組の解散を始めていたが、国元に返した元女嗅足たちが相次いで斬殺されたことを知って、解散を中断した。そして、又八郎と協力して、江戸嗅足組の殲滅を狙う陰謀の背後に、お卯乃の方出生の秘密があることを探り出した。 事件解決後、国元に帰る又八郎に、自分は出家して、数年後に国元にある明善院の庵主となると告げた。 榊原造酒(さかきばら みき) 表向きは、家禄300石の奏者番で、むしろ加役として兼任する寺社奉行として知られるが、裏の顔は嗅足組の頭取。藩主の命によって嗅足組を解散することになり、粛々と準備を進めていた。そして、前任者である谷口権七郎から又八郎のことを聞かされており、藩命で江戸に向かうことになった又八郎に、嗅足組解散の命を江戸嗅足組に伝えるよう密かに依頼した。しかし、又八郎が江戸に向かう4日前に、何者かに暗殺されてしまう。 後に又八郎は、榊原を殺したのは石森左門であり、それは榊原が、村越儀兵衛が石森に宛てた手紙を入手し、それを石森に返すのを拒んだためだと推理する。 兼松甚左衛門(かねまつ じんざえもん) 在職10年ほどとなる大目付。50歳程の年齢。解散した嗅足組の名簿を預かる役割を担っている。実は、2年後に嗅足組頭領となることが決まっており、彼が嗅足組の名簿を預かるということは、必要があればいつでも組を復活させることが可能ということである。 大目付として榊原が暗殺された事件を捜査しているとき、又八郎の訪問を受け、榊原から受けた密命について報告される。その際、改めてその密命を実行するよう又八郎に依頼した。また、嗅足組一の組(士分の組)の名簿は兼松に届けられたものの、二の組(足軽の組)の名簿は届いておらず、榊原の暗殺直後に何者かに持ち去られた形跡があること、そして、榊原を暗殺したのは嗅足組の者ではなく剣客であり、2年前に用人の船橋光四郎を暗殺した犯人と同一人物だと見ていることを語った。 その後、江戸屋敷の内用人村越儀兵衛が国元の誰かに宛てて書いた手紙を入手した。そこには、船橋が殺される前、江戸屋敷で何者かと長戸屋の件で論争し、それを聞いた女を村越が始末したことが書かれていた。そして、その手紙を、安斎彦十郎を通じて佐知に届けさせ、この件について探索するよう命じた。 平潟とよ(ひらかた とよ) 第2巻にも登場した佐知の配下。その後、国元に戻って、元嗅足の素性を隠したまま普請組の平潟藤助に嫁ぎ、今は50代半ばの年頃となっている。元江戸嗅足組に属していた3名の女が、国元に帰った直後に斬殺された事件について、佐知に報告するため、江戸に上ってきた。 安斎彦十郎(あんざい ひこじゅうろう) 御書院目付安斎伊兵衛の4男。又八郎と同年代だが、髪が真っ白になっている。一度は御馬役の兵藤家に婿入りしたが、妻が病死して実家に戻り、そのままどこにも婿入りせずに厄介叔父となった。 人の言うことに従わず、むしろ逆を行なう稀代の拗ね者として知られる。その一方、牧与之助と同門の剣客で、若い頃には牧と甲乙付けがたい腕だった。3巻に登場した刺客、筒井杏平を一方的に翻弄した試合を又八郎は見ている。 江戸入りしたとよの後をつけていたため、又八郎は彼が江戸嗅足組抹殺のために送り込まれた刺客だと誤解したが、実は解散した国元嗅足組の幹部であり、とよ護衛の任に着いていた。その際、内用人の村越が国元の誰かに宛てて書いた手紙を携えてきた。また、牧与之助は仮病との噂があることを又八郎に教えた。 その後も江戸に留まり、二の組に属する足軽たちの動向を探り、国元から送られてくるであろう刺客に備えていた。村越儀兵衛が公儀隠密に拉致されたときは、二の組の者たちに勧めて、又八郎に助勢を願わせ、共に救出に向かった。 その後、何者かに斬殺されてしまう。嗅足組の探索の結果、斬ったのは石森左門と考えられた。 谷口権七郎(たにぐち ごんしちろう) 佐知の父親であり、先の嗅足組頭取。数年前に病死した。死の直前、榊原造酒を次の頭領に、そして石森左門を後見人に任命した。 平田麟白(ひらた りんぱく) 浜町河岸の若松町の町医者。診療所を兼ねた彼の家は、佐知がまるで自宅のように気を遣わずに出入りできる場所であり、江戸嗅足組の拠点の一つ。 野呂助作(のろ すけさく) 交代のために国元から江戸屋敷にやって来た足軽の1人で、又八郎が江戸に着任した翌日に到着した。25,6歳。 佐知は、彼が国元の嗅足組二の組に属すると見抜いた。着任して半月ほどたって、又八郎は野呂が杉村屋の手代を追って屋敷を出て行ったのを目撃する。そして、後日、斬死体で発見された。足軽目付の黒谷半蔵の調べで、杉村屋を張り込み、出てきた武家の後を尾行して行ったことが判明した。 平井忠蔵(ひらい ちゅうぞう) 野呂の後に、国元から江戸屋敷に赴任してきた5人の足軽の1人で、この5人も嗅足組二の組に属する。ある時、同じく二の組の橋本庄七と共に、屋敷の門前で何者かに襲われていたところ、又八郎が助勢して救い出した。 村越儀兵衛が公儀隠密に拉致された後、居場所を突き止めたが人手が足りず、安斎の勧めにより、又八郎に助勢を願ってきた。その後、生き残った二の組の者たちと共に国元に帰っていった。
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