名誉、受賞、記念史跡とは? わかりやすく解説

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名誉、受賞、記念史跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:48 UTC 版)

エドワード・エルガー」の記事における「名誉、受賞、記念史跡」の解説

エルガー1904年ナイト叙され1911年にはメリット勲章受章した1920年にはベルギー王冠勲章Order of the Crown)の十字章を授けられている。1924年国王の音楽師範に任ぜられると、翌年にはロイヤル・フィルハーモニック協会からゴールド・メダル授与された。1928年にはロイヤル・ヴィクトリア勲章ナイト・コマンダー贈られた。1900年から1931年にかけて、エルガーケンブリッジダラムリーズオックスフォードイェールアバディーン、ウェスタン・ペンシルベニア、バーミンガムロンドンの各大学から名誉学位授与されている。また、多数国外アカデミーメンバーとなっており、そうしたものにはローマサンタ・チェチーリア国立アカデミアフィレンツェのAccademia del Reale Istituto Musicale、パリ芸術アカデミーフランス学士院アメリカ芸術アカデミー挙げられる1931年にはウスター、ブロードヒース准男爵となった1933年にはロイヤル・ヴィクトリア勲章のナイト・グランド・クロスの候補挙がっている。ケネディの言によれば、彼は貴族階級に「物怖じすることなく売り込んだ」が徒労終わったエルガーが生を受けたロウアー・ブロードヒースの邸宅は現在エルガー生誕地博物館となっており、彼の生涯と作品展示が行われている。博物館設立にあたって1936年エルガーの娘であるキャリスが協力しており、彼女は1970年死去した際、遺言によりエルガー書簡書類コレクション多く博物館譲り渡したまた、キャリスはエルガーの手稿譜を音楽大学へと託した。『黒騎士』はトリニティ・ラバン音楽舞踏学院へ、『オラフ王の伝説からの情景』は王立音楽アカデミーへ、『ミュージック・メイカーズ』はバーミンガム大学へ、チェロ協奏曲王立音楽大学へ、『神の国』はボドリアン図書館へ、そしてその他の原稿大英図書館贈られた。エルガー協会1951年創設で、エルガー彼の作品専門扱っている。バーミンガム大学の特別収蔵品にはエルガー自筆書簡収められている。 ウスターハイ・ストリートには大聖堂を臨むようにエルガー像が建てられており、これはかつて彼の父の店があった場所からわずか数ヤード地点位置している。他にもローズ・ガラード(英語版制作彫像が、マルヴァーンMalvern)のチャーチ・ストリート頂上から町を見下ろしている。2005年9月には、町に対す彼の音楽的並びに他分野での貢献記念し、ジェマ・ピアソン作の3つ目の彫像ヘレフォード大聖堂英語版近く除幕式迎えた。これは自転車たたずむエルガーイメージしたのである1999年から2007年初頭までの間、新しスターリング・ポンド紙幣20ポンドにはエルガー肖像描かれていた。2007年エルガー生誕150周年あたったため、彼の肖像を他へと差し替えることには議論巻き起こった2007年からエルガー紙幣姿を消していき、2010年6月30日法定通貨ではなくなっている。 イギリス国内にはエルガーにちなん名付けられ通りが約65あり、6つヘレフォードシャーウスターシャーにある。これらのうち11はエルガー・アヴェニューで、1つマルヴァーン、他もエルガー住んだヘレフォードPlâs Gwynの家から近い場所に位置している。アメリカ合衆国バージニア州のノース・スプリングフィールド(英語版)にある通りと、オーストラリアメルボルンボックス・ヒルBox Hill)にある幹線道彼にちなんで命名されている。エルガー栄誉称えて3つの機関車彼の名を冠しており、いずれも現存している。一つ目グレート・ウェスタン鉄道GWR)のブルドッグ機関車で、1906年5月に3704番として建造され以来1912年12月に3414番に変更1914年7月に「A. H. Mills」と名付けられ1932年8月から「Sir Edward Elgar」へと改称された。その後1938年10月現役引退している。二つ目はやはりGWRキャッスル級機関車で、1946年6月に7005番「Lamphey Castle」として建造1957年8月に「Sir Edward Elgar」へと改称し1964年9月現役退いた三つ目イギリス国鉄50形ディーゼル機関車Class 50)であり、1968年3月にD407番として建造される1970年代中頃に50007番へ変更1978年4月に「Hercules」となる。1984年2月25日、この機関車ロンドンパディントン駅において、当時バーミンガム市交響楽団首席指揮者だったサイモン・ラトルによって正式にSir Edward Elgar」と命名された。新しネームプレートが、かつてのGWR偲ばせる形で特別に掲げられている。 エルガーその生涯音楽両面で『ゲロンティアス』などの小説、また複数戯曲から影響受けた1993年公開のデイヴィッド・パウナル(英語版)による舞台作品エルガーロンド Elgar's Rondo』では、死んだアウグスト・イェーガー幽霊となりエルガー音楽的発展助言与える様が描かれている。パウナルは『エルガー3番 Elgar's Third』(1994年)と題したラジオ演劇著している。ラジオ演劇には他にもアリック・ロウ(英語版)作の『ドラベッラ変奏曲 The Dorabella Variation』(2003年)がある。デイヴィッド・ラドキン(英語版)によるBBCテレビPlay for Todayの『Penda's Fen』(1974年)は性と思春期スパイスノッブ根性扱った作品であるが、そこに背景としてエルガー音楽主としてゲロンティアスの夢』が絡められている。あるシーンでは幽霊となったエルガー現れ他言しないようにと命じた上で幼少期主人公に『エニグマ変奏曲』の秘密を囁く。ケイス・アルドリット作の小説『Elgar on the Journey to Hanley』(1979年)では、エルガーのドーラ・ペニー(後のパウエル夫人、『エニグマ変奏曲』では「ドラベッラ」として描かれている)に対す思慕描写され小説では2人初め出会った1890年代中頃からヴァイオリン協奏曲生まれるまでが扱われ最後にドーラ対すエルガー愛情はアリス・ステュアート=ウォートリーに取ってわられる。 おそらく、エルガー描いた作品の中で最もよく知られるのはケン・ラッセル監督による1962年BBCテレビ用映画『Elgar』であろう。これはエルガーがまだ多分に時代遅れ扱いされていた時期制作されている。この1時間程度映画エルガー強硬主義誇大主義作曲家であるという見方に異を唱え彼の性格音楽田園的で陰気側面喚起している。

※この「名誉、受賞、記念史跡」の解説は、「エドワード・エルガー」の解説の一部です。
「名誉、受賞、記念史跡」を含む「エドワード・エルガー」の記事については、「エドワード・エルガー」の概要を参照ください。

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