名誉、受賞、記念史跡
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「エドワード・エルガー」の記事における「名誉、受賞、記念史跡」の解説
エルガーは1904年にナイトに叙され、1911年にはメリット勲章を受章した。1920年にはベルギーの王冠勲章(Order of the Crown)の十字章を授けられている。1924年に国王の音楽師範に任ぜられると、翌年にはロイヤル・フィルハーモニック協会からゴールド・メダルを授与された。1928年にはロイヤル・ヴィクトリア勲章のナイト・コマンダーを贈られた。1900年から1931年にかけて、エルガーはケンブリッジ、ダラム、リーズ、オックスフォード、イェール、アバディーン、ウェスタン・ペンシルベニア、バーミンガム、ロンドンの各大学から名誉学位を授与されている。また、多数の国外のアカデミーのメンバーとなっており、そうしたものにはローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミア、フィレンツェのAccademia del Reale Istituto Musicale、パリの芸術アカデミー、フランス学士院、アメリカ芸術アカデミーが挙げられる。1931年にはウスター、ブロードヒース准男爵となった。1933年にはロイヤル・ヴィクトリア勲章のナイト・グランド・クロスの候補に挙がっている。ケネディの言によれば、彼は貴族階級に「物怖じすることなく売り込んだ」が徒労に終わった。 エルガーが生を受けたロウアー・ブロードヒースの邸宅は現在エルガー生誕地博物館となっており、彼の生涯と作品の展示が行われている。博物館の設立にあたっては1936年にエルガーの娘であるキャリスが協力しており、彼女は1970年に死去した際、遺言によりエルガーの書簡や書類のコレクションの多くを博物館に譲り渡した。また、キャリスはエルガーの手稿譜を音楽大学へと託した。『黒騎士』はトリニティ・ラバン音楽舞踏学院へ、『オラフ王の伝説からの情景』は王立音楽アカデミーへ、『ミュージック・メイカーズ』はバーミンガム大学へ、チェロ協奏曲は王立音楽大学へ、『神の国』はボドリアン図書館へ、そしてその他の原稿は大英図書館へ贈られた。エルガー協会は1951年の創設で、エルガーと彼の作品を専門に扱っている。バーミンガム大学の特別収蔵品にはエルガー自筆の書簡が収められている。 ウスターのハイ・ストリートには大聖堂を臨むようにエルガー像が建てられており、これはかつて彼の父の店があった場所からわずか数ヤードの地点に位置している。他にもローズ・ガラード(英語版)制作の彫像が、マルヴァーン(Malvern)のチャーチ・ストリートの頂上から町を見下ろしている。2005年9月には、町に対する彼の音楽的、並びに他分野での貢献を記念し、ジェマ・ピアソン作の3つ目の彫像がヘレフォード大聖堂(英語版)近くで除幕式を迎えた。これは自転車とたたずむエルガーをイメージしたものである。1999年から2007年初頭までの間、新しいスターリング・ポンド紙幣の20ポンド札にはエルガーの肖像が描かれていた。2007年はエルガー生誕150周年にあたったため、彼の肖像を他へと差し替えることには議論が巻き起こった。2007年からエルガー紙幣は姿を消していき、2010年6月30日に法定通貨ではなくなっている。 イギリス国内にはエルガーにちなんで名付けられた通りが約65あり、6つはヘレフォードシャーとウスターシャーにある。これらのうち11はエルガー・アヴェニューで、1つはマルヴァーン、他もエルガーが住んだヘレフォードのPlâs Gwynの家から近い場所に位置している。アメリカ合衆国、バージニア州のノース・スプリングフィールド(英語版)にある通りと、オーストラリア、メルボルンのボックス・ヒル(Box Hill)にある幹線道も彼にちなんで命名されている。エルガーの栄誉を称えて3つの機関車が彼の名を冠しており、いずれも現存している。一つ目はグレート・ウェスタン鉄道(GWR)のブルドッグ級機関車で、1906年5月に3704番として建造されて以来、1912年12月に3414番に変更、1914年7月に「A. H. Mills」と名付けられ、1932年8月から「Sir Edward Elgar」へと改称された。その後1938年10月に現役を引退している。二つ目はやはりGWRのキャッスル級機関車で、1946年6月に7005番「Lamphey Castle」として建造、1957年8月に「Sir Edward Elgar」へと改称して1964年9月に現役を退いた。三つ目はイギリス国鉄の50形ディーゼル機関車(Class 50)であり、1968年3月にD407番として建造されると1970年代中頃に50007番へと変更、1978年4月に「Hercules」となる。1984年2月25日、この機関車はロンドンのパディントン駅において、当時はバーミンガム市交響楽団の首席指揮者だったサイモン・ラトルによって正式に「Sir Edward Elgar」と命名された。新しいネームプレートが、かつてのGWRを偲ばせる形で特別に掲げられている。 エルガーはその生涯と音楽の両面で『ゲロンティアス』などの小説、また複数の戯曲から影響を受けた。1993年公開のデイヴィッド・パウナル(英語版)による舞台作品『エルガーのロンド Elgar's Rondo』では、死んだアウグスト・イェーガーが幽霊となりエルガーの音楽的発展に助言を与える様が描かれている。パウナルは『エルガーの3番 Elgar's Third』(1994年)と題したラジオ演劇も著している。ラジオ演劇には他にもアリック・ロウ(英語版)作の『ドラベッラ変奏曲 The Dorabella Variation』(2003年)がある。デイヴィッド・ラドキン(英語版)によるBBCテレビPlay for Todayの『Penda's Fen』(1974年)は性と思春期、スパイ、スノッブ根性を扱った作品であるが、そこに背景としてエルガーの音楽、主として『ゲロンティアスの夢』が絡められている。あるシーンでは幽霊となったエルガーが現れ、他言しないようにと命じた上で幼少期の主人公に『エニグマ変奏曲』の秘密を囁く。ケイス・アルドリット作の小説『Elgar on the Journey to Hanley』(1979年)では、エルガーのドーラ・ペニー(後のパウエル夫人、『エニグマ変奏曲』では「ドラベッラ」として描かれている)に対する思慕が描写され、小説では2人が初めて出会った1890年代中頃からヴァイオリン協奏曲が生まれるまでが扱われ、最後にドーラに対するエルガーの愛情はアリス・ステュアート=ウォートリーに取って代わられる。 おそらく、エルガーを描いた作品の中で最もよく知られるのはケン・ラッセル監督による1962年のBBCのテレビ用映画『Elgar』であろう。これはエルガーがまだ多分に時代遅れ扱いされていた時期に制作されている。この1時間程度の映画はエルガーが強硬主義で誇大主義の作曲家であるという見方に異を唱え、彼の性格と音楽の田園的で陰気な側面を喚起している。
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