創面からの綿の排出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 16:51 UTC 版)
N農婦は最初の発熱以来、全身状態が衰弱しており、田尻医院へ入院した後も発熱が継続し、敗血症様の熱型が継続している状態と考えられた。 入院後すぐ、左右の上肢、左右のふくらはぎの皮下に親指大もしくは鶏卵大の腫瘤(しこり)が発生し、これらはすべて皮下腫瘍(おでき)になった。田尻がこれらを切開すると内部からは非常に悪臭の強い膿汁と数個の綿の束が出てきたので、腫瘍になる前の皮下腫瘤を周囲の健康な皮膚とともに切開すると、すでに腫瘍の中には綿が入っていた。綿束の大きさや形状は耳鼻科で使用される綿子(わたこ)に巻いてある綿と同じくらいの細長い綿束であった。 田尻は何らかの要因によって皮下腫瘤内部で綿が発生しているのではないかと考え、皮下腫瘤を切除した上で、その創口を縫合したが、翌日になると縫合したはずの創口内部に、悪臭の強い膿汁にまみれた綿が充満していた。24時間で産出される綿らしきものの重量は乾燥させた状態で約2グラムに及んだ。 このように切開創から次々に綿が産出され、田尻はその都度、切開と綿の除去を繰り返し、産出した綿はおびただしい量になった。各々の創口は半年から1年ほどで治癒するが、別の正常な皮膚部位から皮下腫瘤が新たに現れ、腫瘍や膿瘍になってしまう。1959年(昭和34年)11月に湯たんぽで右足を火傷し、その後、田尻の予想通り10日後には火傷面から綿の産出が始まった。前述した切開縫合創と同様、皮膚に損傷が生じるとその創面から綿が生産された。 このように肉芽を掻き出したり切除することは、却って綿の産出を増加させてしまうようだと、処置を続けていくなかで田尻は感じていた。 田尻が記録した綿産出の時間的経過は次の通りであった。きれいに清掃した創口をそのままの状態にして観察していると、やがて創から滲み出る液(滲出)が創口全体に溜まってくる。ガーゼで創全体を覆い、創に溜まった液体がガーゼに吸収されていく様子を凝視していると、突如として創の底面から綿束が現れる。創口の清掃から早い時で約1時間後、遅い時でも6時間後ほどで現れはじめて綿束が次第に増え創口を埋めていき、最終的に創口から綿がはみ出してしまう。 ある時、創液の塗抹(とまつ)標本(プレパラート)を作成するため、5分おきに創口の液を拭ってはガーゼを取り換えるという作業を行った。作業開始から5分おきにガーゼ交換を継続して行い、1時間40分時の交換までは何事もなかった創の底部が、次の1時間45分時(開始から21回目の交換時)のガーゼ交換の際、突如として創の底部から膿汁の色を呈した綿束が2個現れたという。あまりにも突然で忽然と現れる瞬間を目撃した田尻は、まるで手品を見ているようだったと述べている。 綿束の長さは約1.5センチから5センチ、細いものでマッチ棒1本分、太いものでは3本分ほど、1つの綿束を分解して極細の綿毛を数えてみると、小さいもので100本前後、大きいものだと400本から500本ほどであった。長い入院期間中には高熱により人事不省に陥った事態も数回あり、意識不明の間にも綿の排出は確認された。 田尻は綿の出現状況を記録するため8ミリフィルムを用意してカラー映像の撮影を行った。できることなら連続して出現する様子をコマ撮りで撮影したかったが、それには長時間の固定を要するため、N農婦の負担や苦痛を考え30分毎の撮影を行った。しかしこれでは中間での綿挿入を疑われる可能性があるため、膿瘍を切開して膿と綿塊が出てくる場面も撮影した。 セクション下部に#田尻医師によるN農婦の膿瘍部位・切開年月日記録を示す。最も盛んに綿の排出があったのは1958年(昭和33年)から1960年(昭和35年)にかけてであり、多いときは朝夕2回、場合によっては3回におよぶ包帯交換を行っても創口から綿が排出された。 田尻医師によるN農婦の膿瘍部位・切開年月日記録 切開順通番膿瘍切開部位切開年月日 (西暦1957年から1966年)腕部脚部その他の部位右上腕右前腕左上腕右大腿右下腿左下腿腹部左第4指左腰部後頭部1 1957年06月01日 2 1957年10月01日 3 1957年10月04日 4 1957年12月17日 5 1957年12月17日 6 1958年01月21日 7 1958年02月24日 8 1958年03月07日 9 1958年05月14日×2か所 10 1958年05月16日 11 1958年06月11日 12 1958年06月18日 13 1958年07月04日 14 1958年07月19日 15 1958年07月19日 16 1958年07月22日 17 1958年07月28日 18 1958年08月07日 19 1958年08月17日 20 1958年11月03日×2か所 21 1958年11月07日 22 1958年11月12日 23 1958年11月23日 24 1958年11月27日 25 1959年02月17日 26 1959年02月24日×2か所 27 1959年03月01日 28 1959年03月06日 29 1959年03月27日 30 1959年04月28日 31 1959年09月12日 32 1959年09月15日 33 1959年09月17日 34 1959年10月01日 35 1959年10月07日 36 1959年10月13日 37 1959年11月02日 38 1959年11月09日 39 1959年11月14日 40 1959年12月16日 41 1959年12月23日 42 1959年12月28日 43 1960年01月16日 44 1960年01月19日 45 1960年01月24日 46 1960年01月30日 47 1960年02月06日 48 1960年02月12日 49 1960年02月12日 50 1960年02月29日 51 1960年02月29日 52 1960年03月09日 53 1960年03月27日 54 1960年04月18日 55 1960年04月18日 56 1960年04月20日 57 1960年05月08日 58 1960年05月21日 59 1960年06月09日 60 1960年06月17日 61 1960年07月01日 62 1960年07月20日 63 1960年08月16日 64 1960年10月08日 65 1960年10月18日 66 1961年08月15日 67 1962年01月26日 68 1962年05月29日 69 1962年11月22日 70 1962年11月22日 71 1963年05月10日 72 1963年06月20日 73 1964年05月01日 74 1964年11月11日 75 1966年05月14日
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