創部前史「嘉納校長とスポーツ」(1893-1902)
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筑波大学の前身たる高等師範学校(高師、後の東京高等師範学校)では、体操以外の運動には冷淡であると言われてきたが、嘉納治五郎が校長に就任するとスポーツが盛んな学校となった。1894年(明治27年)秋には初めての大運動会が開催され、1896年(明治29年)3月には寄合会から運動会が独立し、筑波大学蹴球部や硬式野球部の前身となるフートボール部やベースボール部はこの時に創部した。続いて1898年(明治31年)2月には御茶ノ水から池上本門寺まで走る「各級健脚競走」が開かれ、約160人が参加、長距離走大会は後に高師の伝統となった。1901年(明治34年)10月、嘉納校長の提案で寄合会と運動会を統合した校友会が発足し、運動部会には10部が所属した。同年の高師運動会では、全国の中学校・師範学校の選手を集めた競走を初開催したほか、第2回の長距離走大会を大宮氷川公園で実施した。
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