創部「東京高師徒歩部から競技部へ」とは? わかりやすく解説

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創部「東京高師徒歩部から競技部へ」(1902-1929)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 16:02 UTC 版)

筑波大学陸上競技部」の記事における「創部「東京高師徒歩部から競技部へ」(1902-1929)」の解説

そして翌1902年明治35年)、校友会徒歩部と游泳部が加えられそのうち徒歩部が筑波大学陸上競技部前身である。当時まだ「陸上競技」という言葉存在しなかったのである嘉納校長は「徒歩主義」を奨励し1904年明治37年)に秋の遠足長距離競走に、1908年明治41年)には春の遠足長距離競走変更、約600人の全校生徒参加する大会とした。こうした雰囲気から1906年明治39年10月生徒有志が「歩行研究会」を結成して神授練体歩行法を学習し徒歩部員東京帝国大学第一高等学校(ともに現・東京大学)・学習院駒場農学校(現・東京大学農学部)の運動会出場するなど対外試合参加するようになった菅野新七が大阪毎日新聞主催神戸大阪間マラソン競争出場して5位に入賞するなど頭角を現す選手出てくるが、部全体として弱小で、東大運動会などに出場すれば最下位定番で、1910年明治43年)秋の校内長距離走では徒歩部員でない者に優勝奪われる始末であったそのような状況下で入部したのが、金栗四三であった。 金入部した頃の徒歩部の練習メニューは、全員そろって東京高師校庭から巣鴨経由して板橋方面への往復1里(≒3.927 km)を24 - 25分のゆっくりとしたペース駆けるというもので、金のように高み目指す選手には満足のいくものではなかった。そこで金自主的に朝練取り組み菅野から伝授された「脂抜き走法」を実践するなどして鍛錬し、羽田運動場開かれた1912年ストックホルムオリンピック予選会25マイル(≒40.23 km)のマラソンで2時間3245秒世界新記録打ち立て短距離走三島弥彦東大と共に日本初オリンピック選手決まった。このマラソンには金のほかにも東京高師から橋本三郎野口源三郎出場しており、それぞれ5位、4位となっている。金オリンピック本番熱中症のため途中棄権となったが、その後2度オリンピックに出場し、卒業後も永らく徒歩部の指導当たった。金後輩野口源三郎第1回日本選手権1913年=大正2年)を棒高跳で、第3回極東選手権1917年=大正6年)を十種競技優勝した後、東京高師教授として母校戻り陸上競技部長に就任した。 こうして長距離走での活躍から始まった徒歩部は1915年大正4年以降数年渡って日本長距離の上位を独占するようになり、この頃から短距離走他の種目の競技力も向上を見せようになった1918年大正7年11月25日には東京帝大東京高師対抗陸上競技会が開催され引き分け持ち込んでいる。この両校の対校戦が発展して1919年大正8年)に関東学生陸上競技対校選手権大会関東インカレ)の前身となる東都専門学校連合競技大会第1回大会開かれ関東学生陸上競技連盟関東学連)もこの時発足した1920年大正9年)、金栗・野口と明治大学競走部の沢田英一の3人が企画した第1回東京箱根間往復大学駅伝競走四大専門学校対抗駅伝競走の名で開催され東京高師優勝果たした同年全国専門学校連合競技会の名で開催され第2回関東インカレでは前回優勝した早稲田大学4点差でかわして優勝した。なお、この頃徒歩部から「競技部」へ改称している。 1928年昭和3年5月第1回日本学生陸上競技対校選手権大会日本インカレ)が明治神宮外苑競技場開かれ東京高師早大慶大京大東大に次ぐ5位となった。翌1929年昭和4年5月第2回日本インカレでは早大慶大に次ぐ3位順位上げた国内学生大会だけでなく、国際大会においてオリンピック極東選手権多く学生派遣され1924年大正13年)のパリオリンピックには東京高師陸上競技部長の野口源三郎監督として派遣された。

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