制度化の経緯
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1998年(平成10年)4月に郵政省(現・総務省)は、携帯電話及びPHSの急速な普及に伴い劇場等の公衆が集まる場所での携帯電話等の利用が頻繁に行われる場所での着信音や話し声に不快感を訴える人が多くなり、秩序ある電波利用の促進を図るために「発着信による迷惑防止のための電波利用の在り方に関する研究会」を開催し公共施設における携帯電話等の通信抑止について検討した。6月に研究会は、通信抑止に対する社会的ニーズと携帯電話等の利用者の利便性とを比較検討し、使用条件と使用場所を限定した上で、携帯電話等の通信抑止機能を有する無線局の開設を認めることを報告した。 報告書の中で、電波法令上の存在及び無線局の免許と検査については、次のように述べている。 電波法上の整理 電波法の目的は電波の公平かつ能率的な利用を確保することにより公共の福祉を増進することであり、電波を利用して通信を阻害するという物理的現象のみをとらえるのではなく、そのことにより公共の福祉を増進することとなるのか否かにより法目的への適合性を判断する必要があるとしている。利用にあたっては、特定の空間における静謐の確保等公共の福祉の維持のため『携帯電話等通話機能抑止装置の利用条件』に従って運用する限り電波法の目的に反するものではないと考える。 無線局免許及び検査の要否 (1) 無線局免許 装置を使用するに当たり、他の無線局との混信を防止するためには、例えば、装置の使用を上映時間中に限る等必要最小限の使用とし、また使用中に問題があった場合に装置を停止する等適正な管理ができる者であることなど、設置場所、開設理由、空中線電力、漏洩電界強度等について、免許を要する無線局として審査を行い、また運用を規律することが必要である。 (2) 検査の要否 漏洩電界強度は建造物の構造等により異なるから、他の無線局へ混信を与えないものであることを実地に確認するため検査を要する。 12月に郵政省は、報告をふまえ次のような条件で実験局の免許申請を受付開始した。 種別:実験局 用途:携帯電話端末等の運用に与える影響及び電波伝搬特性などのデータの取得 免許人 1.無線機メーカー、携帯電話・PHS事業者 2.コンサートホール、劇場、演芸場の管理者 設置場所 1.は研究施設 2.はコンサートホール、劇場、演芸場 2について開設の条件ア 通信の抑止効果の範囲が一定の空間に限られ、不特定多数について開かれていないこと。 イ 通信抑止により、入場者の入場目的が保護される必要があるとともに興行の円滑な遂行が確保されること。 ウ 携帯電話等の利用者からの抑止に係る許諾が確保されるものであること。 上記2の開設の条件は興行場を想定している。 アは、電波を遮断することが必要な空間に限定され、鉄道駅や商業施設など不特定多数が利用する施設には認められない。また、屋外や移動して使用するものも認められない。 イは、美術館や図書館などは一般に静粛を要する場所ではあるが、電波を遮断することが事業の遂行を確保するものとは言えず、認められない。 ウは、「携帯電話が使用できない」ことを明示する必要がある。 ということである。
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制度化の経緯
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米国では1949年に、主として個人が利用する無線通信システムとして、460-470Mcの「Citizens Radio Service」が制度化されたが、日本ではこの「Citizens Radio Service」を「市民ラジオ」と呼んでいた。 日本では1950年(昭和25年)6月に施行された電波法により実現された一般国民による電波利用の具現化の一つとして、「Citizens Radio Service」にならった「簡易無線」が制度化され、154.53Mcや467Mcの簡易無線局が翌1951年(昭和26年)末までに約20局、1952年(昭和27年)末までに約200局免許された。この簡易無線局が日本における最初の市民ラジオであると言われている。 当時はアマチュア無線の再開前でラジオ雑誌の記事でこう呼んでいた。 しかし、無線機が150Mc帯及び400Mc帯で最大空中線電力30Wで高価なものとなり、遠距離通信が可能で無線従事者を要するものであったことから、大企業や官公署などが開設し、中小団体や個人が広く利用するものとはならなかった。 米国では、1958年にアマチュア無線用であった26-27Mc帯を無線電話とラジオコントロールに割り当て、「Citizens Band Radio Service」が制度化された。 1961年(昭和36年)6月1日に「27Mc帯の電波を使用する簡易無線局」が制度化されたが電波法令に「市民ラジオ」の文言はなく法令で定義された用語ではない。しかし、昭和36年郵政省電波監理局発行「電波時報」の解説記事や昭和37年郵政省告示第531号(無線機器型式検定規則による検定に合格した機器に関する告示)でも「27Mc帯の電波を使用する簡易無線局」に対して「市民ラジオ」が使用されているので、本記事では「市民ラジオの制度」は1961年発足したとする。なお、この「市民ラジオ」は「無線電話」のみだけではなく「無線操縦発振器(模型飛行機、模型ボートその他これらに類するものを無線操縦するために使用する発振器をいう。)」の簡易無線局を含んでいる。1979年(昭和54年)に電波法令に「市民ラジオ」が登場するまで「無線操縦発振器」も「市民ラジオ」であったことになる。 無線操縦発振器用は、ほとんど利用されないまま2012年(平成24年)末に周波数割当てが削除され、事実上廃止されている。簡易無線#廃止を参照
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