内閣官制とは? わかりやすく解説

内閣官制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/28 04:48 UTC 版)

内閣官制

日本の法令
法令番号 明治22年勅令第135号
種類 行政組織法
効力 廃止
公布 1889年12月24日
主な内容 内閣の組織、内閣総理大臣の職権など
関連法令 大日本帝国憲法日本国憲法内閣法など
条文リンク 官報 1889年12月24日
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内閣官制(ないかくかんせい、明治22年12月24日勅令第135号)は、1889年明治22年)に定められた日本勅令1947年(昭和22年)5月3日廃止。

概要

内閣官制は、同年に公布された大日本帝国憲法の行政各部に関する定めに沿う内容とされている。また、内閣官制が制定されたことにより、1885年(明治18年)12月22日に発出された明治18年太政官達第69号及び内閣職権(明治18年12月22日太政大臣公爵三条実美)は実効性を喪失した。

大日本帝国憲法は、同第55条に「國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」と定められたが、「内閣」や「内閣総理大臣」については規定されなかった。行政権は国務各大臣の輔弼により天皇が自ら行う「大権」とされ、内閣は国務各大臣の協議と意思統一のための合議体にすぎないものとされた。これにより、「内閣職権」に規定された内閣・国務大臣・内閣総理大臣について、再度規定することが必要とされた。

内閣官制の内容は、ほぼ内閣職権と同様の条文となっているが、内閣総理大臣の権限は弱められた。同第2条の「内閣総理大臣ハ各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承ケテ行政各部ノ統一ヲ保持ス」において、この「首班」とは「同輩中の首席(Primus inter pares)英語版」を意味すると解された。

1947年(昭和22年)5月3日日本国憲法が施行され、同日に内閣法(昭和22年法律第5号)が施行されたことにより、内閣官制は「内閣官制の廃止等に関する政令」(昭和22年5月3日政令第4号)で廃止された。

内閣官制中改正ノ件

1907年(明治40年)2月1日公文式の廃止と公式令の制定に伴って、内閣官制が改正された。この改正では、第4条にあった「勅令」副署規定を「公式令」に移し、公文式にあった内閣総理大臣の閣令制定権をここに移した。その際、各省大臣の単独副署の制度が廃止され、全ての「勅令」に内閣総理大臣が副署することになった。また、第4条ノ2において、内閣総理大臣の地方官庁に対する職権を明確にした。ともに内閣総理大臣の権限を強化するものであった。

関連項目


内閣官制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 15:35 UTC 版)

内閣 (日本)」の記事における「内閣官制」の解説

1889年明治22年2月11日大日本帝国憲法明治憲法)が発布され同年12月24日には、「内閣職権」を改定する形で「内閣官制」が制定された。 明治憲法には内閣総理大臣内閣に関する記述はなく、国務大臣について規定されているのみだった。同憲法第4章第55条には「国務大臣天皇輔弼シ其ノ責ニ任ス」、同条第2項には「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅国務大臣副署ヲ要ス」と記述されていた。同憲法下での内閣総理大臣内閣は「内閣官制」を法的根拠として存在した。また明治憲法第4章56条には「樞密顧問樞密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇諮詢ニ應ヘ重要ノ國務審議ス」と天皇国務国政)を枢密院諮問することが記述されていたため、国政意思決定機関は「枢密院」であり、内閣はその認可をもって国政遂行する機関として位置付けられていた。ただ、内閣構成する各国大臣枢密院顧問官議席有し表決参加することが出来たため、全く別々の意思決定組織という形でもなかった。 法律上は、内閣総理大臣国務大臣帝国議会下院衆議院上院貴族院に対して直接責任を負うことはなかった。また、内閣官制下の内閣の権限内閣職権下の内閣よりも弱小化されており、内閣総理大臣は「各大臣首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承ケテ行政各部統一保持ス」(第2条)とのみ定められ具体的な権限などは定められなかった。そのため、内閣総理大臣は、内閣の中で「同輩中の首席primus inter pares)」としての地位占めるに過ぎず他の国大臣罷免権限がないため、いわゆる閣内不統一」は直ち内閣総辞職に結びついた。憲法上は各国大臣それぞれ自身任務について天皇助言行い天皇最終的に行政権を行うという建前であった1907年明治40年)には内閣官制が一部改正され、内閣総理大臣閣令制定する権限定め従来国務大臣単独副署無くし全ての勅令内閣総理大臣との連署定めるなど、行政府の長たる内閣総理大臣権限強化図られた。 内閣総理大臣は、天皇任命したが(大命降下)、具体的な人選天皇諮問を受ける元老重臣会議など憲法外の機関人物の合議による場合多かった大正時代から昭和時代初期いわゆる大正デモクラシー」期)には、帝国議会下院衆議院最多議席占め第一党政党党首内閣総理大臣に就任する「憲政の常道」と呼ばれる慣例確立し政党内閣時代とも呼ばれるが、元老衆議院議員総選挙結果参照した結果第一党党首推挙したという形式守られた。 また、組閣は、内閣総理大臣国務大臣候補自由に人選し、天皇任命することとなっていたが、明治一時期昭和初期から第二次世界大戦終戦までの間、軍部大臣陸軍大臣及び海軍大臣)については現役大将中将をもって充てるという「軍部大臣現役武官制」が採用されていた。武官階級現役退役予備役の別は、軍部独自に決めることとなっていたため、結局軍部推薦する人物軍部大臣充てるほかなく、内閣総理大臣人選範囲限定されることになった。さらに、内閣軍部の意に沿わない決定などを行った場合には、軍部大臣退却させて代替人物を送らず、ひいては内閣総辞職至らせることも出来るため、軍部意向政権与え影響大きかったこの他にも、大日本帝国陸軍大日本帝国海軍は、軍政の面では国務大臣の下にあったものの、軍令の面では大元帥でもある天皇専属する「統帥権」(明治憲法第11条)を直接補佐することとされ、軍部大臣参謀総長陸軍参謀本部)・軍令部総長海軍軍令部)などには帷幄上奏権限与えられたため、陸軍省及び海軍省有する内閣事実上軍事に関する政策関わることは難しかった。 なお、日本国憲法下現在の防衛大臣(旧:防衛庁長官)については、自衛隊陸上海上航空)の服務経験者他国における退役軍人)は可能ではあっても、幹部クラス含む現役自衛官ないし自衛隊員就任することはなく、他の大臣と同様、日本国憲法第66条規定により、文民統制シビリアンコントロール)の観点から文民任命されている。 詳細は「内閣官制」を参照

※この「内閣官制」の解説は、「内閣 (日本)」の解説の一部です。
「内閣官制」を含む「内閣 (日本)」の記事については、「内閣 (日本)」の概要を参照ください。

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