京都電気鉄道時代
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1892年(明治25年)春頃 「来たる明治27年は桓武天皇の平安遷都1100年にあたるので明治天皇の行幸を仰いで盛大な記念祭を行い、併せて第4回内国勧業博覧会を京都市で開催したい」という意見が実業界から出される。 秋頃京都市での第4回内国勧業博覧会の開催が内定。 上下京連合区会(現在の京都市会)議員の高木文平らが、第4回内国勧業博覧会の開催に合わせた旅客輸送を目的に「電気鉄道敷設願書」を千田貞暁京都府知事に出願。 12月千田貞暁京都府知事の諮問を受けた京都府会市部会が、電気鉄道敷設の京都市内路線を可とする答申を出す。 1893年(明治26年)4月 明治天皇の勅令によって、明治28年4月から京都市で第4回内国勧業博覧会を開催する事が公布される。 5月 上下京連合区会議員の高木文平ほか3名が発起人となり、第4回内国勧業博覧会の開催に合わせた旅客輸送を目的に「電気鉄道敷設願書」を井上馨内務大臣へ提出。 7月29日 井上馨内務大臣から以下の2区間の電気鉄道敷設の特許、並びに命令書が下附される。疏水運河西側 - 南禅寺橋間 丸太町通 - 下立売通東堀川間 2月1日 第4回内国勧業博覧会の開催に合わせた旅客輸送を目的に電気鉄道敷設事業を行う為の民営企業として、資本金30万円の京都電気鉄道株式会社が設立され、専務取締役社長に高木文平が、取締役に大澤善助・河原林義雄・藤本一二・堤彌兵衛が、それぞれ就任。 3月 黒田清隆逓信大臣から電気鉄道事業の認可が下附される。 5月2日 井上馨内務大臣から以下の4区間の電気鉄道敷設の特許、並びに命令書が下附される。京都市下京区東洞院通塩小路 - 七条通 - 間之町通 - 上珠数屋町通 - 枳殻馬場 - 御影堂 - 五条通 - 高瀬川筋 - 二条通 - 寺町通 - 丸太町通 - 今出川通 - 出町橋間 二条通 - 二条橋 - 疏水運河西側間 下立売通東堀川 - 中立売通間 京都市下京区東洞院通東塩小路 - 京都府紀伊郡九条村 - 京都府紀伊郡竹田村 - 京都府紀伊郡伏見町間 1895年(明治28年)2月1日 伏見線 七条停車場(七条停車場・踏切南) - 下油掛(後の京橋)間開業。運賃は1区2銭、半区1銭、伏見線全線で6銭。路線は1067mmの狭軌路線。日本初の電気鉄道事業の営業開始。 4月1日京都市上京区岡崎において、第4回内国勧業博覧会が開幕。(7月31日まで) 木屋町線 七条停車場・踏切北 - 【七条通 - 間之町通 - 上珠数屋町通経由】 - 市姫(後の新寺町上珠数屋町) - 木屋町五条(後の五条小橋) - 木屋町二条間開業。 鴨東線 木屋町二条 - 岡崎円勝寺町 - 岡崎博覧会場 - 南禅寺橋(後の南禅寺前) 伏見線 七条停車場停留所を七条停車場・踏切南と改称。 東洞院車庫開設。 伏見線 七条停車場・踏切南 - 木屋町線 七条停車場・踏切北間は、官営鉄道東海道線の踏切を挟んだ徒歩連絡となる。 7月17日 中立売線 木屋町二条 - 寺町二条 - 寺町丸太町 - 丸太町富小路間開業。 8月24日中立売線 丸太町富小路 - 寺町丸太町 - 烏丸下立売 - 府庁前間延伸開業。 木屋町線 木屋町五条停留所を五条小橋と改称。 9月24日 中立売線 府庁前 - 堀川下立売 - 堀川中立売間が延伸開業し、中立売線全線開業。 1899年(明治32年)5月18日 東九条火力発電所を設置し、東九条車庫併設。 1900年(明治33年)5月7日北野線 堀川中立売 - 下ノ森間(後の京都市電堀川線の一部区間)開業。 北野線に堀川を跨ぐ為の転車台を設置。 6月14日 官営鉄道東海道本線を跨ぐ跨線橋架橋工事に伴い、伏見線 七条停車場・踏切南 - 木屋町線 七条停車場・踏切北間を徒歩で連絡する踏切が閉鎖される。 1901年(明治34年)1月21日 木屋町線 七条間ノ町 - 新寺町上珠数屋町間のルートを七条内浜(後の七条河原町)経由に変更し、間之町通 - 上珠数屋町通経由の木屋町線 七条間ノ町 - 新寺町上珠数屋町間の路線を間ノ町線として廃止。 3月11日寺町線 寺町丸太町 - 寺町今出川間が開業し、寺町線全線開業。 出町線 寺町今出川 - 河原町今出川 - 青竜町(後の出町)間が開業し、出町線全線開業。 4月12日官営鉄道東海道本線を跨ぐ高倉陸橋が開通。 伏見線 八条新道(後の京都駅八条口) - 塩小路高倉 - 東洞院塩小路 - 七条停車場前間が延伸開業し、官営鉄道東海道本線を跨ぐルートが完成。 伏見線 八条新道 - 七条停車場・踏切南間廃止。 木屋町線 東洞院塩小路 - 七条停車場・踏切北間廃止。 8月23日 高倉線 塩小路高倉 - 七条高倉間が、伏見線と木屋町線とを繋ぐ木屋町線に属する短縮ルートとして開業。 12月6日 堀川線 堀川下立売 - 堀川三条間延伸開業。 1902年(明治35年)1月18日 京都市会において、委員7名から構成される「電気鉄道事業、並びに電灯事業を京都市営事業とする」の利害損失調査委員の設置を可決される。 2月10日 城南線 堀川押小路 - 二条停車場(後の二条駅前)間が開業し、城南線全線開業。 6月17日 京都市会において、電気鉄道事業、及び電灯事業の市営化に関する建議が議決される。 10月23日 堀川線 堀川三条 - 西四条(後の四条西洞院)間が延伸開業し、堀川線全線開業(京都電気鉄道の路線としての堀川線として)。 1904年(明治37年)8月4日 稲荷線 勧進橋 - 稲荷間が開業し、稲荷線全線開業。 12月28日西洞院線 西四条 - 西七条(後の七条西洞院) - 七条停車場前間(後の京都市電堀川線の一部区間)が開業し、七条停車場前をターミナル駅とする七条停車場前 - 塩小路高倉 - 五条小橋 - 木屋町二条 - 寺町二条 - 寺町丸太町 - 堀川下立売 - 堀川押小路 - 西四条 - 西七条 - 七条停車場前間の京都市内循環路線が完成。 三哲車庫を開設し、東洞院車庫を移転。 1906年(明治39年)6月 京都市が京阪電気鉄道株式会社の軌道敷設問題を巡り、京都市内における電気鉄道事業の市営化問題、及び道路拡張の調査を開始。 6月28日 京都市会において、明治37年12月28日に開業した京都電気鉄道株式会社による西洞院線 西四条 - 西七条 - 七条停車場前間の軌道敷設に関する諮問答申案が可決される。 7月12日 京都市会において、京都電気鉄道株式会社の買収に関する建議案が可決される。 12月11日 地方山崎貨物線 大手筋 - 地方山崎間が開業し、地方山崎貨物線全線開業。 1907年(明治40年)3月6日 京都市会において、明治39年度より8ヶ年計画で総額約1,038万円とし、その財源を外債とする「道路拡張・電気鉄道建設予算」が電気鉄道市営・私設両派と妥協して可決される。 3月8日 京都市会において、京阪電気鉄道 三条乗り入れに関する諮問答申案が可決される。 3月23日 京都市会において、嵐山電車軌道(現在の京福電気鉄道嵐山本線)四条堀川東入ル乗入れに関する諮問答申案が可決される。 6月25日 西郷菊次郎京都市長が原敬内務大臣に京都市営電気鉄道敷設の特許を出願。 8月8日 鴨東線 南禅寺橋 - 蹴上間(後の京都市電蹴上線の一部区間)が延伸開業し、鴨東線全線開業。 1908年(明治41年)2月13日 京都市に原敬内務大臣から京都市営電気鉄道敷設の特許が下附される。 1909年(明治42年)6月28日 京都市がフランス共和国のユニオン・パリジェンヌ銀行(現在のBNPパリバ銀行)などから総額4,500万フランス・フランの借款を得る。 12月25日 京都市会において、市営電気鉄道敷設費に関する予算が可決される。 1910年(明治43年)2月3日 京都市会において、京阪電気鉄道の五条 - 塩小路間疏水堤塘上敷設に伴う5万円の納付金が可決される。 12月28日 京都市会において、京都市電烏丸線の路線変更に伴う東本願寺からの土地寄付金の受納が可決される。 1911年(明治44年)8月13日 京都市が京都市営電気鉄道敷設工事を着工。 1912年(明治45年)1月4日 京都市が庶務課、運輸課、工務課からなる電気軌道事務所を設置。 1月10日 京都市が以下の京都市営電気鉄道6路線と区間の重複する京都電気鉄道4路線6区間との共用を京都電気鉄道に申し入れるが、京都電気鉄道側が即日、拒否。京都市営電気鉄道今出川線 寺町今出川 - 河原町今出川間→京都電気鉄道出町線 寺町今出川 - 河原町今出川間との共用。 京都市営電気鉄道丸太町線 寺町丸太町 - 烏丸丸太町間→京都電気鉄道中立売線 寺町丸太町 - 烏丸丸太町間との共用。 京都市営電気鉄道四条線 四条西洞院 - 四条堀川間→京都電気鉄道堀川線 四条堀川 - 西四条間との共用。 京都市営電気鉄道七条線 七条内浜 - 七条東洞院間→京都電気鉄道木屋町線 七条内浜 - 七条東洞院間との共用。 京都市営電気鉄道河原町線 平居町 - 七条内浜間→京都電気鉄道木屋町線平居町 - 七条内浜間との共用。 京都市営電気鉄道→烏丸線 烏丸丸太町 - 烏丸下立売間→京都電気鉄道中立売線 烏丸丸太町 - 烏丸下立売間との共用。 3月15日 京都市が京都市営電気鉄道6路線と区間の重複する京都電気鉄道4路線6区間との共用について、政府に裁定を申請。 4月19日 京都市が京都市営電気鉄道6路線と区間の重複する京都電気鉄道4路線6区間との共用について、政府の共用認可を得る。 5月10日北野線 下ノ森 - 北野間が延伸開業し、北野線全線開業。 七本松車庫(旧北野車庫)開設。 5月30日御池線 堀川御池 - 二条停車場間が開業し、御池線全線開業。 城南線 堀川押小路 - 二条停車場間廃止。
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