京都銀座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 10:05 UTC 版)
慶長13年(1608年)、銀座が伏見から移転し、京都の室町と烏丸の中間、二条から三条までの四町(二条下ル、押小路下ル、御池下ル、姉小路下ル)に亘って拝領して設立され、この地を両替町と称するようになった。京都銀座では常是屋敷は両替町御池の北東側角にあり、銀座役所はその北側に隣接し、江戸銀座の町割りもこれに準ずるものであった。銀座役所の北側には金座が隣接し小判の鋳造を行っていた。常是屋敷は表間口23間5尺5寸、奥行が15間5尺7寸で面積379坪8合あり、銀座役所は表間口13間6寸、奥行が15間3尺6寸(北側)〜15間5尺1寸(南側)で、その後拡張され表間口26間、奥行30間、面積834坪となった。延宝2年(1672年)の覚帳によれば両替町四町には常是屋敷、銀座役所を含めて59軒の屋敷が立ち並んでいた。 銀座移転前のこの地は染物屋が多く集居していたが、西洞院蛸薬師付近に替地を与えられ立ち退いた。中井主水・茶屋呉服所もこの地にあったが、これらも替地を仰付けられ移転した。 銀遣いの上方にあることから丁銀鋳造の中心地となり、駿河、後に江戸とともに貨幣鋳造を担い、これは寛政12年(1800年)の銀座改革まで続いた。銀座改革以降、両替町押小路角の惣役所に規模が縮小され、不要となった7000坪余の跡地は上ゲ地となった。
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