京都部落問題研究資料センター所長辞任の経緯
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「灘本昌久」の記事における「京都部落問題研究資料センター所長辞任の経緯」の解説
2000年に、京都部落問題研究資料センター(京都部落史研究所から改組)所長に就任したが、2003年4月25日発行の同センター機関紙『Memento』12号に掲載した論文「部落解放に反天皇制は無用」が、スポンサーである部落解放同盟京都府連合会を含むセンター関係者の批判を受け、所長辞任を要求された。 これに対して灘本は もともと所長就任にあたり灘本と解放同盟との意見の違いは了解済みだったはずである。いまさら解放同盟の公式方針と異なる意見を表明したからといって辞任を求めるのは不当である。 無報酬でセンターの環境整備に努力した実績を評価しないのは不当である。 センターは研究機関であり、解放同盟の教宣部ではない。部落解放運動は民主主義を求める運動であり、民主主義は意見の多様性を尊重する。 辞任要求は本当に解放同盟京都府連の多数意見なのか。 奈良本辰也も井上清も運動団体の御用学者ではなく、解放同盟に苦言を呈することもあった。灘本もその伝統に続いたまでである。問題提起に対して議論で応じることなく、言論を封殺するのは不当である。 と反駁したが、解放同盟京都府連は議論に応じることなく、灘本が辞任しないのであればセンターを封鎖すると通告した。このため、灘本は2004年9月末をもって辞任した。 灘本は後に当時のことを振り返り、それまで解放同盟の公式方針と相容れない発言を繰り返しても許されていたので天皇制に関する問題提起も許されると思っていたこと、ところが意外にも感情的な反発を招いて議論ができない事態に発展したこと、辞任に追い込まれるとは予想していなかったこと、辞任してから解放同盟とはほぼ縁が切れたことを記している。灘本はまた、1990年にセンターで発生しそうになった詐欺行為(当時の所長だった師岡佑行が解放同盟市協議会から900万円の借金の穴埋めを目的とする不正会計への協力を依頼され、これをあっさり内諾した件)を暴露した上で「解放同盟系の研究機関の所長など引き受けたら、どんな不正の片棒を担がされるか分からない」とも述べている。 灘本はまた、 2002年、仲田直(佛教大学教授)が天皇から叙勲された際に解放同盟京都府連が祝賀会を開いたこと 2004年ごろ、岡山の解放同盟の中央執行委員Dが天皇から叙勲されたとき大々的に祝賀会を開いたこと を挙げ、解放同盟の「反天皇制」論は口先に過ぎないと指摘している。
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