京都部落問題研究資料センター所長辞任の経緯とは? わかりやすく解説

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京都部落問題研究資料センター所長辞任の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 19:38 UTC 版)

灘本昌久」の記事における「京都部落問題研究資料センター所長辞任の経緯」の解説

2000年に、京都部落問題研究資料センター京都部落研究所から改組所長就任したが、2003年4月25日発行の同センター機関紙『Memento12号掲載した論文部落解放反天皇制無用」が、スポンサーである部落解放同盟京都府連合会を含むセンター関係者批判を受け、所長辞任要求された。 これに対して灘本は もともと所長就任にあたり灘本と解放同盟との意見違い了解済みだったはずである。いまさら解放同盟の公式方針異な意見表明したからといって辞任求めるのは不当である。 無報酬センター環境整備努力した実績評価しないのは不当である。 センター研究機関であり、解放同盟教宣部ではない。部落解放運動民主主義求め運動であり、民主主義意見の多様性尊重する辞任要求本当に解放同盟京都府連の多数意見なのか。 奈良本辰也井上清運動団体御用学者ではなく解放同盟苦言を呈することもあった。灘本もその伝統に続いたまでである。問題提起に対して議論応じことなく言論封殺するのは不当である。 と反駁したが、解放同盟京都府連は議論応じことなく、灘本が辞任しないであればセンター封鎖する通告したこのため、灘本は2004年9月をもって辞任した。 灘本は後に当時のことを振り返りそれまで解放同盟の公式方針相容れない発言繰り返して許されていたので天皇制に関する問題提起許される思っていたこと、ところが意外に感情的な反発招いて議論できない事態発展したこと、辞任追い込まれるとは予想していなかったこと、辞任してから解放同盟とはほぼ縁が切れたことを記している。灘本はまた、1990年センター発生しそうになった詐欺行為当時所長だった師岡佑行解放同盟協議会から900万円借金穴埋め目的とする不正会計への協力依頼され、これをあっさり内諾した件)を暴露した上で解放同盟系の研究機関所長など引き受けたら、どんな不正の片棒を担がされる分からない」とも述べている。 灘本はまた、 2002年仲田直(佛教大学教授)が天皇から叙勲された際に解放同盟京都府連が祝賀会開いたこと 2004年ごろ、岡山解放同盟中央執行委員Dが天皇から叙勲されたとき大々的祝賀会開いたこと を挙げ解放同盟の「反天皇制」論は口先に過ぎない指摘している。

※この「京都部落問題研究資料センター所長辞任の経緯」の解説は、「灘本昌久」の解説の一部です。
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