江戸・蛎殻町銀座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 10:05 UTC 版)
寛政12年6月(1800年)、江戸銀座において上納銀の滞納など不正行為が発覚したことを機に、銀改役の大黒長左衛門八代目常房は家職放免の上、永蟄居を命じられ、その後京都銀座から大黒作右衛門十代目常明が江戸へ招致され、京都および江戸両座の銀改役を兼任することとなった。この銀座粛正の後、50人を越えていた座人は15人に縮小され、同年11月に蛎殻町(現在の日本橋人形町)に移転される事が申し渡され、南鐐二朱銀鋳造が再開された。移転は翌享和元年7月(1801年)に完了した。常是屋敷は表間口15間、奥行35間5尺、面積537坪5合と京橋銀座とほぼ同程度の土地を拝領した これ以降、京都および京橋で行われていた貨幣鋳造は蛎殻町銀座に集約され、幕府による統制が強化され御用達町人による請負事業から事実上幕府の直轄事業となった。また京都、大坂の銀座は貨幣吹替えの際の旧銀の回収、引替、銀地金の買上および銀貨の包封などの役割りにとどまることとなった。
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