予定ルートと駅設置場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 05:52 UTC 版)
東京駅 市ケ谷駅、東京駅、新宿駅、荻窪駅又は高井戸駅の4箇所が候補にあった。旅客の利便、旅客流動(新宿駅と東京駅のほぼ中間にあることも理由)、防空の観点、都市計画、建設費などを考慮して市ケ谷が最有力候補であったが、利便性では東京駅併設、建設費では荻窪又は高井戸が有利とされ、最終的な結論には至らなかった。 東京 - 横浜間 現行新幹線にほぼ一致。途中機関区・客車操車場を品川または新鶴見に設け、貨車操車場は新鶴見に設置(後に在来線の新鶴見機関区と新鶴見操車場に転用)。 横浜駅 横浜線との交点に「新横浜駅」を設けるとされていたが、東急東横線とも連絡が可能な菊名駅付近が最有力とされた(現在の新横浜駅よりやや南寄り)。 横浜 - 小田原間 現行新幹線にほぼ一致。なおこの区間は用地買収が進んでおり、戦後に新幹線のテストコースとなった「鴨宮モデル線区」となって現在の東海道新幹線となっている。 小田原駅 在来線小田原駅に併設。 小田原 - 三島間 熱海駅付近までは現行よりやや海より。そこから先、新丹那トンネルを抜けて三島までは現行ルートとほぼ同じ。 三島駅 在来線三島駅に併設。当初は沼津駅を通す計画であったが、線形の都合で三島に変更となった。 三島 - 静岡間 現在の新幹線と異なり、由比辺りまでは海岸線ルートを通る。由比以西は現在よりやや山寄り。 静岡駅 在来線静岡駅に併設。また、駅東方3.5km(現、東静岡駅付近)の所に電気機関車と蒸気機関車の付け替えのための機関区と操車場を設置予定。 静岡 - 浜松間 掛川駅付近までは現行新幹線とほぼ同じで、そこから先は現在より北側のルートを通る。 浜松駅 用地買収の問題から当初は浜松駅南方へ「新浜松駅」を設ける予定であったが、後に遠州鉄道との連絡ができる島ノ郷駅(現、曳馬駅)付近に設ける予定へ変更された。 浜松 - 豊橋間 新居町駅付近まで南下し、東海道本線に沿って二川駅付近で完全に並行する形で豊橋に至る。 豊橋駅 在来線豊橋駅に併設。ただし現行新幹線が地上駅なのに対し、高架駅の予定であった。 豊橋 - 名古屋間 現行新幹線とほぼ同じ。 名古屋駅 在来線名古屋駅に高架で併設。機関区・客車操車場・貨車操車場は近くの日比津に設けるとされ、戦後の新幹線計画では電車の留置線とされた。貨物駅は笹島を予定した。 名古屋 - 京都間 米原駅などに迂回する現行に近い案もあったが、鈴鹿山脈を越え野洲駅を通る計画(以前の名古屋急行電鉄の計画に近い)となり、新東山トンネルが作られた。 京都駅 現在の新幹線駅が在来線駅の南側にあるのに対し、在来線京都駅の北側(現在の京都駅ビル付近)に併設し、貨物駅は西大路駅近くに設ける予定だった。琵琶湖の横断線上にある京都市西北や、東山の南にある伏見区に置く案もあった。 京都 - 新大阪間 現行新幹線にほぼ一致。鳥飼に機関区と客車操車場を、現在の大阪府道2号大阪中央環状線をくぐった味生付近に貨物操車場を設ける。 大阪駅 1940年(昭和15年)に開設された東淀川駅を「新大阪駅」とする予定であった(現在の新大阪駅よりやや北寄り。戦後の新幹線計画で変更された理由については、新大阪駅#歴史を参照)。 大阪 - 神戸間 現在の新幹線と異なりほぼ直線ルートで抜け、西宮北口駅付近を通って芦屋市付近でトンネルに入る。尼崎市内に確保された用地は戦後、名神高速道路に転用された。 神戸駅 在来線神戸駅北方2kmの平野付近に「新神戸駅」を設置(現在の新神戸駅より西寄り)。 神戸 - 姫路間 現在の山陽新幹線より山よりの、山陽本線の北側を進むルート。正確な位置は不明ながら、戦時中に高取山へ登山した際に測量用の杭を見たという証言があり、高取山の下を東西方向へ抜けるルートであったと推測される。なお、買収済みの建設予定地の一部は現在第二神明道路、加古川バイパスなどに転用されている。 姫路駅 播但線の亀山駅(現在は廃止。「飾磨港線」と俗称された区間にあった)と山陽電気鉄道本線の電鉄亀山駅(現、亀山駅)にまたがって交差するように、「新姫路駅」を設ける予定であった。 姫路 - 岡山間 相生駅付近までは山陽本線に並行するルートで、そこから先は弾丸列車と同時に山陽本線船坂峠の勾配区間を避ける新線として建設を行うことになった赤穂線と並行する。 岡山駅 宇野線大元駅付近に「新岡山駅」を設ける予定であった。 岡山 - 尾道間 山陽本線と並行するルートで、玉島駅(現、新倉敷駅)付近まではその南側を進み、そこから先は北側を進んで福山駅手前からは現行の山陽新幹線と並行し、尾道付近で在来線と接続するためにカーブを設ける。 尾道駅 尾道市の西端、尾道駅 - 糸崎駅間に「新尾道駅」を設ける予定であった(現在の新尾道駅の南西寄り)。なお既存設備が活用可能な玉島や福山・三原でなく、わざわざ新しく尾道に駅を設けることになったのは、当時はここが岡山と広島の中間にあって最も栄えていたからだとされる。 尾道 - 広島間 現在の山陽新幹線がトンネルを多用しているのに対し、蒸気機関車牽引なのでトンネルを避けるために山陽本線と並行し、瀬野八付近で同線と交差した後に芸備線の安芸矢口駅付近へ抜け、可部線の下祇園駅付近に機関区を設ける予定であった。なお西条駅付近を通過するため、将来的には弾丸列車にも駅を設けられるようにする予定であったと言われる。 広島駅 山陽本線の己斐駅(現、西広島駅)を「新広島駅」とする予定であった。 広島 - 徳山間 山陽新幹線・岩徳線とほぼ同一のルートだが、トンネル区間はできるだけ減らそうとした。廿日市駅裏の曹洞宗の寺「洞雲寺」の門前の田圃には測量の際に打たれた、枕木を転用したと思われる杭がある。しかし、近年宅地開発により更地となり、痕跡は残っていない。 徳山駅 市街地を避けて徳山駅の北方に「新徳山駅」を設ける予定であった。 徳山 - 小郡間 現在の山陽新幹線がトンネルによってほぼ一直線に抜けているのに対し、曲線を多用してそのやや南側を抜ける予定であった。 小郡駅 山陽本線の嘉川駅付近に駅を設ける予定であった。 小郡 - 下関間 小月駅付近までは山陽新幹線とほぼ同じルートを通り、そこから先は山陽本線と並行、幡生に貨物操車場を設ける予定であった。 下関駅 下関駅(なお1942年に現在地へ移転するまでは、700m東の海岸寄りにあった)併設を予定したが、九州方面への延伸を考慮してトンネルが掘りやすいよう別の場所への設置も考えられていた。 大陸へのルート 当初は下関駅で関釜連絡船に接続するとしていたが、同航路を車両航送ができる様に改造して客車を載せて釜山・北京へ直通することや、前述のように海底トンネルを掘ることも考えられた。海底トンネルを掘る際は、佐賀県の東松浦半島付近から海底に潜って壱岐島・対馬を経て行くのが建設費等の面から有力とされ、実際に海底調査もなされた。また対馬と朝鮮半島の間(朝鮮海峡)は海底が深いため、海底に橋脚を建ててその上に載せたチューブの中を列車が走るなどといった案や、吊橋にする案も出されたが、結局は軍部が魚雷攻撃に遭ったら運行不能になるということで反対したために、通常の海底トンネルで建設を行うこととされた。なお現在、日韓トンネルとしてこの区間にトンネルを掘る構想が一部で存在する。
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