船坂峠とは? わかりやすく解説

ふなさか‐とうげ〔‐たうげ〕【船坂峠】

読み方:ふなさかとうげ

兵庫県赤穂郡上郡町岡山県備前市との境にある峠。隠岐(おき)に流される後醍醐天皇を、児島高徳(こじまたかのり)が迎えた地。


船坂峠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/16 09:20 UTC 版)

船坂峠

舟坂峠


船坂峠
船坂峠旧道
所在地 兵庫県赤穂郡上郡町岡山県備前市
座標
北緯34度49分12秒 東経134度17分31秒 / 北緯34.82000度 東経134.29194度 / 34.82000; 134.29194座標: 北緯34度49分12秒 東経134度17分31秒 / 北緯34.82000度 東経134.29194度 / 34.82000; 134.29194
標高 197 m
通過路 国道2号(船坂トンネル)
山陽本線(船坂トンネル、新船坂トンネル)
プロジェクト 地形
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船坂峠旧道の「縣界」石碑

船坂峠(ふなさかとうげ)は、兵庫県赤穂郡上郡町梨ヶ原と岡山県備前市三石との間に位置し、両県の県境を成す。標高197 m。

歴史と文化

  • 地名の由来は、「畝坂(うなさか)」で、丘陵地の連なったところの坂の意味であるらしい[1]。広島県にも、旧高宮町、現安芸高田市の旧村名に「船佐」があり、船佐・山内逆断層帯が露出しているほか、かつて船佐駅が存在した。
  • 古くから山陽道の要所として、播磨国備前国を分けた。明治時代に切り下げられるまで旧街道はもう少し高い地点で越しており、かつての街道と思しき地点に「從是西備前國」と刻まれた国境石(元禄16年建立)が残る。
  • 古代には西の坂長(さかなが)(現備前市三石(みついし))に駅家が設置され、のちに麓に有年(うね)、三石の宿場ができ、江戸時代には関所もあった[2]
  • 付近では元弘2年(1332年)、元弘の変に敗れ隠岐配流される途中の後醍醐天皇を奪回すべく児島高徳が決起しており、石碑が残る。
  • 現在でも両県及び近畿地方中国地方の文化的境界となっており、ここを西に越えると、方言播州弁近畿方言系)から岡山弁中国方言系)へ大きく変化する。
  • 山陽本線にとっては急勾配の難所区間となっており、バイパス線として赤穂線が建設されたりした。
  • 新国道2号において、この峠付近を抜ける道路は岡山県内ではなぜか交通事故の名所として知られている。

通過する交通路

脚注

  1. ^ 吉田茂樹『コンパクト版日本地名事典』新人物往来社、1991年。 
  2. ^ 浮田典良; 中村和郎; 高橋伸夫『コンパクト版日本地名百科事典』小学館、1998年。 

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