世良公則&ツイスト期とは? わかりやすく解説

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世良公則&ツイスト期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 00:37 UTC 版)

世良公則&ツイスト」の記事における「世良公則&ツイスト期」の解説

世良のド派手なアクション、そしてあまりにワイルドなボーカルスタイル多くの人の度肝抜いたデビューシングルあんたのバラード」(オリコン最高6位)、「宿無し」(最高3位)、「銃爪 (ひきがね)」(最高1位)、「性」(最高5位)、「燃えろいい女」(最高3位)と、立て続け大ヒット飛ばし一世を風靡した。ロックバンド・ミュージシャンが、シングルヒット続けるのはそれまで前例無かった。また1978年7月10日発売したデビューアルバム世良公則&ツイスト』はオリコンで1位を記録日本のロックバンドとしては、デビューアルバムが、チャートの1位を記録したのはこのアルバム初めであった世良公則&ツイストChar原田真二の三組は「ロック御三家」と呼ばれそれまで日本のロックミュージシャンと違い初め『ザ・ベストテン』などのテレビランキング番組歌謡番組、「月刊明星」「月刊平凡」等のアイドル雑誌、「セブンティーン」「プチセブン」などのティーン雑誌テレビ頻繁に登場出演した。これがロックとは無縁だったファン獲得することとなり、それまでロックバンドにはなかった女性ファン開拓して新たな潮流生み出すきっかけを創り出した日本語ロック演奏できるアーティストブラウン管出てきたことは、日本の音楽シーンにとって大きな衝撃だった。世良見て初めロック触れた人も多く男の子世良アクションマネた。 世良公則&ツイスト活躍が特に目立ったのが1978年1月から始まった『ザ・ベストテン』だった。社会的に影響力大きかった当番に於いて全盛期沢田研二山口百恵西城秀樹ピンクレディーら、歌謡曲の大スター抑えて初年度シングル年間第1位(「銃爪 (ひきがね)」)、年間第3位(「宿無し」)を獲得。特に3枚目のシングル銃爪」は1978年9月から11月まで同番組10連続1位と、3ヶ月の間1位に居座りレコード売上げ94万枚達した『ザ・ベストテン』10連続の1位は、「ルビーの指環」(寺尾聰1981年12連続に次ぐ歴代でも2位となる。同じヤマハ所属中島みゆきは、頑なに当番組に出演しなかったが、世良公則&ツイスト積極的に出演した画面からはみ出す程のイキのいいパワー視聴者魅了した『ザ・ベストテン』は、ニューミュージック歌手の曲を紹介するというコンセプト始まった番組であったため、番組立上げ期に彼らの出演なければ『ザ・ベストテン』伝説になることはなかった。番組プロデューサー山田修爾は、「間違いなくツイスト『ザ・ベストテン』初期功労者ひとりである」と述べている。 「ロック御三家」のうち最初にテレビ出始めたのはCharであったが、女子中・高生中心に爆発的人気得たのは、1977年10月デビューした原田真二と翌11月デビューした世良公則&ツイストであった。特に1978年後半には、世良公則&ツイスト人気やレコードセールスの点では完全に他の二人をあけ、歌謡曲含めてトップスターになった。当時音楽誌は「いまようやく、日本のロック世良公則&ツイストの手で、メジャーになろうとしている」と書いた。 歌謡曲ニューミュージック全盛期に於いてロック売れる」ことを初め証明したバンドであったロック楽曲最初に売れたのはダウン・タウン・ブギウギ・バンドシングルスモーキン・ブギ」(発売1974年12月)、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(1975年6月)であるが、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド自体が"ロック"として見られておらず(宇崎竜童談)、また当時歌謡曲演歌フォーク強く、他にロック系後続がなくロックメジャーにならなかった。 "ロックのメジャー化"は、最も商業的に成功した世良公則&ツイスト筆頭とした「ロック御三家」と、マスメディア拒否しながら、1978年出したシングル時間よ止まれ」と2枚アルバムゴールドラッシュ』、『LIVE後楽園スタジアム』を全てヒットチャート1位にし、自伝本『成りあがり』のベストセラー長者番付ロック系ミュージシャンとして初めて1位となった矢沢永吉や、「ロック御三家」より、ほぼ一年遅れで世に出たサザンオールスターズこの年年末から翌1979年にかけて大ヒット出したゴダイゴ甲斐バンドら、この時代誰も予想だにしなかったロック系のヒットラッシュからで、これらの大ヒット音楽マーケット大きな革命起こしたJ-POPシーン盛況は、商売にならなかったはずのロック商売になり始めた7778年始まったとも評される。ただし前記のように"日本のロック"は「世良公則&ツイストメジャー化した」とする文献や、「ロック御三家」が「日本のロックメジャー押し上げた」とする文献もある。『Jロック&ポップスCD名盤ガイド』は「歌謡曲演歌ニューミュージック占められていたチャート上位ロック勢が顔を出すことなど、とても考えられないというのが普通の時代。そんな状況風穴を開け代表的存在世良公則&ツイスト」「世良コブシ効いた歌唱法含めて"歌謡ロック"の印象が強い。だがそれはまったくマイナス要因とはいえない。むしろロック歌謡曲境目がほとんどなくなっている現在(2001年)の状況考えれば、彼らの音楽性はまさにJ-ROCK元祖そのものといえる」と評している。 またバンド形態という意味でも大きな功績残している。基本的に楽器持たずボーカル徹する強力なボーカリストフロント立てるバンドスタイルは、ツイスト以降甲斐バンドゴダイゴRCサクセションらが商業的に成功したことで、日本のロックバンドの一形態作った。これは現在も売れバンド常套手段となっている。ツイストらが興したロックのメジャー化は、後のロック・バンドへも多大な影響与えることになった。 なぜこの時期日本のロック売れたと言えば、「ロック御三家」が出る前、1976年から1977年にかけてベイ・シティ・ローラーズキッススージー・クアトロランナウェイズら、英米のロックバンド・ミュージシャンが日本売れて日本マスメディアにも大量露出したスージー・クアトロは「サケロック大関」と日本酒テレビCMもやったこうした影響あったかしれない

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